ゴミ箱の中のメモ帳

まだ見ぬ息子たちへ綴る手記

ADHDと呼ばれて

私はADDと診察された。

泣いた。


だが良かった。

安心した。

ADDである自分を誇りに思う。

ADD/ADHDという才能

ADD/ADHDという才能


タイトルにはより有名であると思われるADHDと書いたが、私はADDと診察された。ADHDは「注意欠陥多動性障害」で、ADDは「注意欠陥障害」だそうだ。
最後まで読む人は少ないかと思うので先に言っておくが、ADHDは正確には「Attention Deficit / Hyperactivity Disorder」となり、「障害」とは「Disorder」を日本語に翻訳したものになる。

「Disorder」はロングマン現代英英辞典[4訂新版]では、

medical a mental or physical illness which prevents part of your body from working properly

と書かれており。「medical a mental or physical illness」、「医療的な精神又は身体の病気」とされている。この「disorder」を「障害」と翻訳するのがそもそもの誤りだと感じる。
例えば、自身が睡眠障害と診察されても、さらには同僚に睡眠障害と診察された人がいたとしてもそれほど重く感じることはないかと思う。なぜなら、その「睡眠障害」は世間的にも広く認知されており、その症状を理解しているが故に重大視、問題視する必要が無いと感じられているのかと思う。だが、睡眠障害も「Sleep disorder」とADHDやADDと同じく「Disorder」となっている。

ADHDやADDは名前こそ知られているが、その症状がどのようなものかは広く理解されておらず、日本名の「注意欠陥多動性障害」と言う名前がいかにも重い障害のように感じさせている。だからこそ、知識がない人からは「ADHDの人は常識的な行動ができない人」等と言う誤ったレッテルを貼られる原因になっていると感じている。日本の医者もADHDに関する知識を持っている人は少なく、医者自身も誤解している人が多いようだ。私もこれを経験した。詳細は後に書く。

確かに私自身も自分がADDと診察されるまではその名前も知らず、その診察をされた時はあまりの医者からの言われように泣いた。「なぜこんなことを言われないといけないのか」と思い泣いた。
だが、ADDやADHDという「Disorder」について調べれば調べるほどに医者に言われたことの誤りに気づいた。そして数日後にはADDであることを自身で喜び、ADDで有ることを嬉しく感じ、それを誇りにも思えるようになった。


日本では病的な意味の「障害」という言葉に過剰に反応すると感じている。そもそも翻訳に誤りがあったり、「障害物」や「障害競争」、「仕事の障害を取り除く」等と気軽に利用している言葉であるのに、それが病気で使われる際には過剰に反応してしまっていると感じている。
病院に行くと健康に生きているような人でも適当な病気がつくように、どのような人にでも何らかの病名をつけることが出来る。ADHDもそれと同じだ。
先日、「米高校生男子の2割がADHDと診断、薬剤誤用・乱用の懸念も 報告」などで、アメリカの高校生の2割がADHDと診察されて問題となっていたが、そもそも2割もいるような人たちが「異常」なのであれば、残りの8割のまた別の「異常」を患っているし、「まとも」な人なんて誰もいないという事にすらなるかと思う。

またこのADHDは、「ADHDに関する論争」にもあるように、多くの誤った認識がされており、さらにはADHDは製薬会社により「作られた病」で有ることを「ADHDは作られた病であることを「ADHDの父」が死ぬ前に認める」で精神科医であるレオン・アイゼンバーグが認めている。
製薬会社が薬を売るためにADHDという病気を作り出し、精神科医にそれを診察させ、薬を売り利益を上げているのだ。ADHDの診断は年々増えているというが、それは製薬会社の息のかかった医師が増え、その病気の判断基準も下がり、どんどんとADHD患者を量産させているという。

最近も「新型うつ病」の様にどんどんと病気が作られていく中で、それが本当の病気かどうかを考えなければならない。「新型うつ病」が作られた病気かどうかを判断することは私にはできないが、新たに「病気」を作り出すことで利益が上がるのは「医者」と「製薬会社」で有ることを理解し、「病気」と言うものを考える必要があるかと思う。


ADHDについての前置きが長くなったが、私がADDと診察されるまで、心療内科に向かうまでを書きたい。


私は昔からよく「頭がおかしい」と言われてきた。自分が覚えているだけでも小学校4年生くらいの時にはすでに言われていたかと思う。思いついたことは行動した。人から制止されたとしても、その行動をすることが正しいと感じていた。長いものには巻かれないし、自分が考え、自分で行動してきた。

小学校の頃には「変わり者」と思われていたかもしれないが、自分も言うのも何だが友達も多く良く外で遊んでいた。外で遊ぶことが好きでTVゲームをすることは出来なかった。
どうもTVゲームをすることに馴れることが出来ず、始めてもすぐにやめてしまう。RPGのようなもので幼少期にクリアしたゲームはない。レベル上げのような作業は苦痛以外の何者でもなく、鍵のかかったドアを開けるために鍵を取りにボスを倒しに行くことなんて到底無理だった。「鍵のかかったドアなんて蹴破れ」としか思わなかった。

そのような小学校生活を送っていたので、もちろんそのまま中学や高校でも「変わり者」や「頭がおかしい」と言うのは言われ続けてきた。自分ではその「頭のおかしいと言われる行動」は正しいと思っているので、そう言われることに対して何も感じることはなかった。むしろ私からすれば、「そう考えない」人達が「頭がおかしい」と感じていた。

高校生となっても大人しくしていた訳ではなく、卒業式の日などは周りの人間から卒業証書の筒を集め、教師の話の間それを積んで遊んでいた。とにかく退屈が耐えられなかった。

高校を卒業すると金型工場に就職し、すぐに辞めた。それからは職を転々とし、女に逢いたいがゆえに仕事を辞めて長崎に来た。長崎でも仕事を転々として現在になるが、その間もいくつかの会社で「変わり者」と言われ続けてきた。

25年も生きていると自分が変わりもと言われることに慣れたし、自分でも理解していた。私のことを「変わり者」と呼ばれる人たちを逆に惨めに思えた。
「毎日毎日代わり映えもせずにTVの話や女の話を繰り返す。暇があればTVゲームや携帯電話を操作し、それを楽しいと感じている。」そんな惨めな人間にはなりたくない。自分で考え行動してこそ人間らしく有ると思っていた。仕事も誰かに与えられたことをこなすのではなく、自分で考えてこなしていきたい。
だからこそ誤りであると感じたら上司にも反発するし、相手の意見が正しいと感じるまでは説明を要求した。大抵の上司は説明すら出来なかったので私はその考えを変えることはなかった。


そんな学生生活、社会生活を送ってきた。長崎に来た原因は「女に逢いたい」と言う理由で有ると書いたが、それ以外に理由はなく、会えるかどうかもわからない状態で退職願を書き、その日の朝の飛行機で長崎に来た。このように思ったことはすぐに行動した。
「やらずに後悔するならやって後悔しろ」という考えが根底にあるのかもしれない。


そんな生活を送ってきたので、長崎でできた友だちからも「頭がおかしい」と言われることに変わりはなかった。「頭がおかしい」とあまりにも言いつづけられ、当時付き合っていた女から病院に行くことを勧められた。
病院に行くことさえも面白いと思ったので心療内科に行くことにした。その病院の医者があまりにもひどかったために病院名は伏せておくことにする。

心療内科に行ってみると、いくつかの受け答えをした後に、別室でペーパーテストをすることになった。何の理由かも説明されないまま100問近くある(それ以上あったかもしれない)ペーパーテストに回答をつけていった。
内容は「列に並ぶことを苦に感じますか」や、「○○している人間をどう思いますか」のような簡単な内容であったと記憶している。


そして全ての設問にチェックを入れて提出すると、しばらくして医師に呼ばれた。「診断結果としてはADDというものになります」と、いきなり病名をつきつけられた。「ADHD注意欠陥多動性障害という病気があり、あなたにはその多動は見られないのでADD、注意欠陥障害に当たると診断します。」

その医者の言い分もおかしかった。ADHDとADDの差をこのように言い放った。

ADHDの人はじっとしていられない。例えば、今この会話をあなたは座って聞いているが、ADHDの人は静かに黙って人の話を聞くという事ができない。」

この理由でその医者は私をADHDではなくADDと診断したようだ。さらに話は続いた。

ADHDやADDの人は、人の話を聞くことが出来ず、聞いても理解できない障害だ。社会に出ても人の話を聞くことも座って作業することもできないので、社会に適合することはできない。そのような人たちなので知的レベルも低く、パソコンの操作もできないので肉体労働をするしか無い。就職して定職につくことなどできない。」

医者が何を言っているのかわからなかった。私はそのADDと診察された当事者だ。そう思っているとさらに話は続いた。

「あなたは社会人として就職し、プログラマとして働いているようだがそれはおかしい。パソコンの操作は一人でできているのか?ADDである人がプログラマなんて出来る訳がない。あなたはおかしい。」

パニックだった。なぜこんなことを言われなければならないのか。私という人間を、人格を真っ向否定されていると感じた。私はADDで有ると診断されたのに、仕事が出来ることがおかしいようだ。ADDである人間は仕事が出来てはいけないようだ。


医者の説明が終わり、待合室に戻ると涙が出てきた。ADDと診察されたことが悲しいのではない、これからの未来を悲観し泣いたわけでもない。ただ単に「なぜそんなことを言われなきゃならないのか」と思えて涙が出てきた。

私は転職は繰り返しているが就職している。レベルは低いがプログラマとしても働いている。机に向かってパソコンを操作している。苦痛ではあるが会議にも参加している。社会に適合できているかどうかの自信はないが、社会に出て一人暮らしをして、自分で生計を立てて生活しているのだ。
それを行なっている人間に対して、「それが出来るわけがない」、「それをしているあなたはおかしい」と面と向かって言われては、苛立ちや怒りを通り越して悲しみが湧き出てきた。私は社会に出て生活出来てはいけないと言われているとすら感じた。


家に帰りADHD、ADDについて調べた。調べると日本の医者でそれらを理解している人は少なく、アメリカがそれらの研究の最先端だという事を知った。ADHDである医者の書籍もあるという事を知り、ADHD、ADDについて書かれた書籍も読んだ。

そして確信した。私を診察した医者の知識が間違っている。

テストはペーパーテストなので、その点数からADD、ADHDが診断されるかと思う。私はその基準から見たらADD、ADHDなのかもしれない。だが、その医者の言っていた「社会に適合出来ない」や「知的レベルが低い」ということが単に偏見であることがわかった。ADD、ADHDはそれ以外の人間の人たちと比べた際の、「才能の一つ」で有るという事がわかった。

ADHDについて日本語のWebサイトを見ても偏見や誤りが多く有ると感じている。今現在この文章を読んでいる人も、ADDやADHDと診察された本人や、親、友達かと思う。


安心して下さい。私はこうして普通に生活して普通に働いています。普通にコンピュータを操作して、このブログを更新しています。プログラマとして働いています。医者に何を言われようと、書籍にどんなことが書いてあろうとそれを信じる必要はありません。
自分で色々な情報を手に入れて、その自分に都合のいい情報だけ信じれば十分です。トム・ハートマンの書籍などが良い知識を得られるかと思います。トム・ハートマンは自らがADHDで有るにも関わらず、医師となり、ADHD、ADDを診察しています。

ADHD、ADDと診察されても悲観することはありません。私はそう診察されたことを喜んでいます。それまでは「お前は頭がおかしい」と言われてきましたが、他の人達とは違う才能を持っているのです。他の人達と異なる才能を持っているが故に理解されず、「頭がおかしい」とはねられているだけなのです。
ADHD、ADDは才能です。単純作業や流れ作業のようなことは苦痛であり、続けることができません。ですが、全ての仕事が単純作業ではありません。単純作業ができないがゆえに、自分で考え、行動し、結果を生む作業が出来るのです。非ADHD、非ADDの人達が嫌がる「責任を持つ仕事」を自ら進んで行なっていけるのです。

単純作業も大事ですが、新しいことを生み出す仕事も大事です。一つ仕事の選択肢が失われても悲観しなくてもいいのです。世の中には多種多様な仕事があります。あなたに最適な仕事があります。それが見つかるまで転職を繰り返せばいいのです。何を言われてもきにすることはありません。


出る杭は打たれる


それだけです。



是非に本記事で紹介している書籍を読んで欲しい。これはADD当事者からの願いです。


ADD/ADHDという才能

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ADHDサクセスストーリー―明るく生きるヒント集

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