ゴミ箱の中のメモ帳

まだ見ぬ息子たちへ綴る手記

ベジタリアンについて勘違いしていると思うこと

私は今までに自分がベジタリアンであることを言わずに生活してきた。隠してきたつもりはないが、特に自分から言う必要もないし、それを言うことで人に気を使わすのは好まない。

だが、以前の記事の中で自分がセミベジタリアンであることを書いたことがあり、それを読んだ誰かが広めたのかちょこちょこと周りの人間に知られることになってしまった。

その周りの人間の反応や会話の中から、日本ではまだベジタリアンというものの認識が少なく、その認識についても勘違いが多いと思ったのでベジタリアンについて簡単に説明しておく。

VEGETARIAN-ism 21世紀のライフスタイル『ベジタリアニズム』

VEGETARIAN-ism 21世紀のライフスタイル『ベジタリアニズム』

  • 作者: 阿部一博,岩佐明子,NPO法人日本ベジタリアン協会ベジサポ隊有志,垣本充,小山直美,杉坂由加里,関目実,高井明徳,土田満,鶴田静,中川雅博,仲本桂子,松尾一廣,南勲,宮城智央,山形謙二,余語啓一,吉田麻理,渡邊こずえ,高井明徳、松尾一廣,松尾一博
  • 出版社/メーカー: フードジャーナル社
  • 発売日: 2014/04/01
  • メディア: 単行本
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この「ベジタリアン」という言葉には完全共通の考えがあるわけではないので、多く認識されている内容について書く。例えば下記の「乳製品」についても、牛乳はダメで人乳はいいのかや、はちみつがダメならツバメの巣もダメなのかという細かなことについては完全に共通な認識はない。それらは完全に個々のベジタリアンの認識に任されている。特にフルタリアンについては個々人でのルール判断が多い。

下に書いている内容の分類が全て共通の認識ではないので、あなたの周りにベジタリアンがいるとすれば、その人の考えと異なるものもある。よって、その当人の考えを知るには当人に聞くしか無く、食事を作る場合は、「肉・魚・卵・乳製品」のどれを食べないのか個々に確認が必要になる。

世間ではこの確認の必要性から「ベジタリアンは面倒臭い」と認識されることがあるようだが、これは大きな間違いだと私は感じる。個々人が食べるものは個々人が決めることであって、周りの人間がとやかく言うものではない。

例えば外国人を食事に誘うときは「生魚」を食べれるか確認するだろうし、日本の伝統料理に誘うときは「クジラ」を食べれるか確認するはずだ。あなたが外国に行った際に確認もなく「犬」や「猫」の肉、昆虫を出されると嫌悪感を抱くのと同じだ(人によるが)。

十人十色というように個々人で考え方が違うということは、それは食べ物に関する考え方も違うということに他ならない。先の例のように、日本人の多くは犬や猫、昆虫を食べないが、それを食べる人もいるということと同じで、肉を食べない人もいるというだけの事だけなのだ。

セミベジタリアン

まず私はベジタリアンだが、その中でも「最も緩い」と考えることが出来る「セミベジタリアン」だ。肉を食べないわけではない。

セミベジタリアンは「自分から好んで肉を食べない」と考えればわかりやすい。なので誰かとご飯を食べに行き、そこに肉を含む料理しかなければ肉を食べる。だから私のように周りに知られることもないセミベジタリアンは多くいる。

お金が無く、肉しか買えるものがなければ自分から肉を買って食べる人もいるだろう。その程度に「肉を食べない」と言う人たちだ。私は肉を食べて美味しいと思うが、だが自分の思考により、自分から進んで食べようとは思わない。



ここでベジタリアンのついてもう少し書いておくと、ベジタリアンの中でも「肉を食べない理由」は多くある。

代表的なものには「宗教」、「文化・家庭」、「嫌悪」、「思考」になる。

宗教

わかりやすいのがこの宗教上の理由だ。これは日本人には少ないが、世界には「肉食」を禁止する宗教がある。例えば仏教でも肉食を禁止している宗派があるように、その宗教上の理由から「肉食が出来ない」。

これはその人間が好んで「肉食を断る」わけではなく、その人間が好む宗教が「肉食を断る」ということは注意が必要になる。例えばその宗派に入るまでは肉食をしていた人もいるし、その中には「肉を食べたいが禁止されているので食べられない」と言う人もいる。

だが、これはその個人の感情ではなくその宗教が禁止していることであるので、様々な「肉を食べない」理由の中で最も注意する必要がある理由でもある。

もし謝って肉を食べさせてしまうと、宗教団体から除名されてしまうことや、更にはその追求からどのような罰に処されるかわからない。最悪の場合は殺されてしまう場合や、自ら命を断ってしまうこともあるかもしれない。

他の理由の場合は自らの意志で肉食をしないことが多いのだが、これは「禁止されている」ということは強く認識して置かなければならない。

文化、家庭

これは先に書いた日本人が犬や猫、昆虫をあまり食べないのと同じ理由になる。肉を食べる文化がない土地や家庭では肉を食べない。

だがこれは文化がないというだけで個々人が好んで「肉を食べない」わけではないので、もし一度肉を食べて「美味しい」と感じると肉を食べるようになるかもしれない。

だが私の知るところでは「肉は臭い」と感じるようなので、今まで肉を食べてこなかった人が急に肉を美味しいと感じることは少ないかもしれない。

よってこれは「食べない、食べさせてはいけない」と言うわけではないが、その人の文化や家庭を尊重して「美味しいから食べてみ」等と、薦めて食べさせるのは好まれない。

嫌悪

これが日本人のベジタリアンの中には多いかと思う。これは生まれてから肉を食べないということや、肉食を禁止されているというわけではなく、それまで肉を食べていたもののきっかけがあり肉を食べることを好まなくなるというものだ。

例えば、それまでは外食やスーパーで肉を買っていたものの、実際に食肉加工場や、屠殺場、屠殺現場を見てその衝撃から食べれなくなるというものになる。

「肉を食べることが気持ち悪い」と感じる人や、「屠殺現場を思い出して食べられない」と感じる人、「動物が殺されること考え始めて食べられない」と感じる人など多岐にわたるが、これらの人は「嫌悪感から肉を食べない」ことから「肉を食べる人と食事しない」と考える人もいる。

これも肉食をする人からすると面倒くさいと感じるかもしれないが、目の前で犬や猫、昆虫を食べている人と食事をするのが嫌だと思う人たちがいるのと同じだ。

思考

私がセミベジタリアンになった理由もこれになる。私は「肉食をする必要が無いので肉食をしない」と考えたからこそセミベジタリアンになった。

これは「思考」という都合上個々人によって理由は異なり、嫌悪感と同じように「動物虐待」の観点から肉食をしない人もいるなど多岐にわたる。

「思考」なので考えを曲げて食べることはあるかもしれないが、決して「考えを曲げて食え」と強要すべきではない。



このような理由が大きなベジタリアンたる理由になる。ここまでで「肉食」と書いてきたが、ベジタリアンは決して「肉を食べない」と言う人たちではなく、さらに細かく別れる。これが勘違いしている人たちが多い内容になる。

例えばベジタリアンが食べないものとして代表的なものに「肉」があるが、その他にも「魚貝類」や「卵」、「乳製品」と別れる。肉を食べないが、魚貝類を食べる。魚貝類は食べないが、卵や牛乳、チーズは食べる。魚貝類も卵も乳製品も蜂蜜も食べない。魚貝類も卵も乳製品も蜂蜜も食べないし、野菜の多くも食べない。と様々なタイプがある。

ヴィーガン

これがよく日本で認識されているベジタリアンの代表的なものだ。肉も魚貝類も卵も乳製品も蜂蜜も食べない。動物性の食べ物、飲み物を一切摂らないという人たちになる。よく言われる「完全菜食主義者」と言われている人たちだ。

その名前からもわかるように、穀物や野菜などしか食べることはない。よくあるベジタリアン用のメニューというものもこの人たちの物が多い。

フルタリアン

これは日本では見たことはないが、ヴィーガンよりも食べないものが多い。例えば人参も食べない人たちだ。

菜食には変わりないのだが、その菜食も「それを食べることによって、その植物自体を殺さないもの」に限定される。例えば人参を抜いて食べればその人参は死んでしまう。だが果物は、その果実を食べても木は死なないので果物は食べる。更には果物も果実を木からもぎ取るのではなく、自然に落ちたものだけに限定して食べる人たちもいる。

このフルタリアンは基本的には産業である外食をするのが難しく、一般的な家庭で料理を食べるのも難しいためそのような行為をしようとはしない。

ペスクタリアン

これはセミベジタリアンと同じく「ベジタリアン」の分類には含めないことが多い。セミベジタリアンと同じように「魚貝類」は食べる人たちの総称になる。要するには「動物肉」を食べない人「非肉食者」に含まれる。

先の「嫌悪感」から肉食をしない人たちに多いかもしれない。

ラクト・オボ・ベジタリアン

肉、魚貝類は食べないが、乳製品や卵、蜂蜜は食べる。直接的に動物を食べない人と考えればわかりやすい。

ラクト・ベジタリアン

肉、魚貝類、卵を食べない。乳製品や蜂蜜は食べる。広義の意味の菜食主義者になる。ラクト・オボ・ベジタリアンとの違いは「卵」を食べない点になる。

オボ・ベジタリアン

肉、魚貝類、乳製品を食べない。卵や蜂蜜は食べる。卵は食べると行っても、ピータンなどは卵に含まれない。また、卵も無精卵に限ると限定する考えもある。


と大きなところではこのような分類になる。これはベジタリアン協会という団体の分類になり(セミベジタリアン、ペスクタリアン以外)、まずその団体はベジタリアンを「肉食(魚貝類含む)」をしない人と定義している。だが、この協会の分類が世界共通というわけではなく、私のようにベジタリアンについて勉強していない人たちはこの分類すら知らず、個々人の考え方によって分類がある人たちが多数になる。

まとめれば以下のようなものだ。

魚貝類 乳製品 蜂蜜 植物
セミベジタリアン
ペスクタリアン ×
ラクト・オボ・ベジタリアン × ×
ラクト・ベジタリアン × × ×
オボ・ベジタリアン × × ×
ヴィーガン × × × × ×
フルタリアン × × × × ×

宗教上の理由以外のベジタリアンの多くは革製品や絹など、動物性の製品を嫌い、更には動物実験を行う薬品や化粧品を嫌うことについても注意が必要になる。私もこれに該当する。



また、多くの勘違いをしている人たちの中には、「肉を食べなくても最近は代替食品が在るからいいよね」等と言う人たちがいるが完全にそれは間違いだ。ベジタリアンの多くは「肉を食べれない」のではなく、「肉を食べたくない」から食べないのだ。その食べない人たちが「肉風」の物を求めるわけがない。わかりやすくは、生レバーが好きな人は生レバーが禁止されてから生レバーの大体食品を食べるようになったかと思うが、そもそもに生レバーを好まない人はそのだいたい食品すら食べようとはしないだろう。

簡単には、あなたが本当のゴキブリ味の食べ物を食べようとしないのと同じだ。このゴキブリを食べるということにもしあなたが嫌悪感を感じるとすれば、その嫌悪感と、ベジタリアンが肉食に抱く嫌悪感と同じものだ。


このようにベジタリアンにも多くの考えと種類があり、「ベジタリアン」とひとくくりにするには大きすぎるのが現実だ。アメリカやヨーロッパなどではベジタリアン人口も多く一般的なレストランなどでもベジタリアン用のメニューが用意されているが、日本ではベジタリアンの認知度の低さからそのようなものは用意されていない。例えばカレーを食べるにしても、肉抜きのカレーを頼めばいいわけではなく、豚骨や鶏肉のスープが使われていないものに限る必要がある。例えばココイチでは「特定原材料を含まないカレー」としてアレルギー物質無しのメニューとしてかろうじてパックで用意されている程度になる。大抵のカレー屋では用意されていない。


ベジタリアンは決して「わがまま」などではないということを広く認識していただきたい。

ベジタリアンの医学 (平凡社新書)

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わたしが肉食をやめた理由 (いのちと環境ライブラリー)

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