ゴミ箱の中のメモ帳

まだ見ぬ息子たちへ綴る手記

テレビは危ない

先に「本を読まない人間には近づくな」を書いた。

これは本を読まない人間には近づくなという内容だが、同じように「テレビを見る人間」にも近づいてはいけない。先の記事のほうが詳しく書いているが、本を読まずテレビを見る馬鹿な人間のために分けて記事にした。

「本を読まない人間」とは違い、テレビは極わずかなら見てもいいかもしれないが、1日1時間でも見ている人間は危険だ。

理想は全く見ないことだ。

テレビは見てはいけない 脱・奴隷の生き方 (PHP新書)

テレビは見てはいけない 脱・奴隷の生き方 (PHP新書)


先の記事からの延長で書くとすると、読書をしない人間には「私はテレビから情報を手に入れている」と言う馬鹿もいるようだ。本を読まない人間の馬鹿な発想には驚かされる。読書とテレビを見ることが一緒とは家電の説明書すら読めるのか怪しい。

まずテレビ放送の目的は「物を買わせること」ということ理解しているのだろうか。

テレビ局はテレビ番組をつくり放送するが、そのテレビ番組からは直接的に利益は出ない。だからテレビ局はスポンサーを募りお金を集める必要がある。お金を出すスポンサーの目的は「物を売る」ことだ。スポンサーは物が売れなければスポンサーから降りる。だからテレビ局はスポンサーの求める「物が売れる番組」を作る必要がある。どれだけ視聴率のある面白い番組を作っても物が売れなければ意味がない。簡単には「マンションなんかより一軒家が完全に優れている」と言う番組に対してマンションがスポンサーになるかということだ。だからこそ、一軒家もマンションもスポンサーになってもらえるようにどっちつかずの結果になるテレビ番組を作る。だからこそテレビに情報など無い。表面的などちらも損も特もしない内容の番組しか作らない。番組単位ではなく他の番組のスポンサーも影響を受けるからだ。

テレビの前提は「物を売る」ことなのだ。


最近はテレビ番組で商品の宣伝をしたり、テレビ番組(局)が行っているイベントを番組内で宣伝することが多くなっている。これを批判する馬鹿な人間もいるようだ。TV局の目的は最初から変わっていない。物を売ることなのだ。だからこそ昔から、特定メーカの商品を利用することなどで商品の宣伝を続けている。これは何も批判されることではない。それがそもそもの目的なのだ。

その目的を達成するためにテレビ局はテレビ番組を作る。視聴者はその商品の宣伝と引き換えに無料でテレビを視聴するのだ。フリーペーパーに広告があると文句を言うのが馬鹿なことと同じだ。無料で放送するためにスポンサーがあり、商品の宣伝があるのだ。

「嫌なら見るな」ということで視聴率が下がり一喜一憂している馬鹿な人間もいるようだが、結局はそれも本を読まない馬鹿な人間の浅はかな考えであろう。視聴率が下がってもテレビ局はスポンサーさえいれば関係ない。株式の価格が下がらなければ何も問題はないのだ。そもそもそんなバカたちがテレビ放送を見ても商品を買わない馬鹿ばかりであるから関係がないのだ。視聴率が下がっても同じ販売数が維持できれば購買率が上がっているより効率の良い番組が出来るだけだ。果ては経団連参加企業はお互いに株式を支えあっているのでどこかが下がってもその代わりにどこかが上がれば関係ない。逆に儲かることもある。そんな想像も出来ないバカたちの集まりだ。


逆に書籍について考えてほしい。書籍にもいろいろあるが、書籍の目的は「書籍を売る」ことだ。書籍を売るにはどうしたらいいか、面白い内容を書くしか無い。内容勝負だ。テレビ番組は無料なので多少面白くなくても見続けるが、書籍は立ち読みして面白くなくては購入してもらえない。だからタイトルから工夫してまずは手に取ってもらう。そして前書きで読者を惹きつける。Amazonなどで面白くないと評判が付けば購入者は減る。購入者が減れば儲からない。儲けるためには「読んでもらえる」内容を書くしか無いのだ。


このようにテレビと書籍はそもそもの目的から全く違う。テレビに情報などあったものではない。これはテレビと新聞というメディアでも同じだ。新聞には広告があるがまずはその新聞を購読してもらう必要がある。どのように選ばれるか。記事の内容でしか無い。

テレビはとても危険なメディアだ。動画という具体的な情報を使って視聴者を洗脳する。面白くないものでも面白いと勘違いさせる。いらないものでも欲しいと勘違いさせる。5個持ってても50個必要だと恐怖心を植え付ける。それがテレビだ。


「本を読まない」と言う行動すらも、視聴率が下がる原因となる書籍を批判するTV局からの洗脳かもしれない。


テレビは危ない