ゴミ箱の中のメモ帳

まだ見ぬ息子たちへ綴る手記

PTSDとトラウマのすべてがわかる本 飛鳥井 望(監修)

世間では簡単にトラウマだのアスペルガーだのという言葉が使われている。

それを使っている当事者が無知で馬鹿なことはすぐにわかるので問題ないが、この言葉を正しい知識を持って聞く側は溜まったものではない。

その言葉の本当の意味を知らずに使うというのは、周りに対して本当に恐怖を与えてしまっているかもしれないということを理解しておいてほしい。

PTSDとトラウマのすべてがわかる本 (健康ライブラリーイラスト版)

PTSDとトラウマのすべてがわかる本 (健康ライブラリーイラスト版)


例えばこの「トラウマ」と言う言葉もそうだ。今までにこの言葉を使ったことがある人間は多いかと思うが、ではこのトラウマと言う意味を説明できるだろうか。出来ると思っていたとしても、大半の人が勘違いしているかと思う。本当の意味を理解していれば、そのトラウマと言う言葉を使うことすら憚られるはずだ。

簡単に過去に失敗した経験をトラウマと語り、「この取引先はトラウマなんだよね」と笑い話にする。

本当のトラウマというのはそんなものではない。笑い話にすることなど出来ず、その話題を自分からしようとなどしない。だからこそそれを避けたり、過剰に反応してしまい「トラウマ」と言う症状になってしまう。笑い話としてそのことを語ることなどご法度で、そもそもにその話題もしようとはしないことがトラウマなのだ。


ADHD」なんかも言葉の知名度だけがドンドンと上がり、ただ単に「我慢が出来ない」、「片づけられない」という理解がされているのではないだろうか。「私はADHDだ」と平然と言い出す人まで私の周りにもいる。

そんな簡単に使っている言葉を当事者やその子を持つ親などが聞いたらどう思うだろうか。

現在は問題になることも少なくなったが、「放射能」や「地震」、「津波」と言う表現や、それらを笑いとして扱うことは「東日本大震災」直後にはご法度となったことは記憶に新しい。現在でもテレビでそれらをコントのネタなどに使うと批判がかなりあることは想像に難しくない。震災前には問題なかったコントも震災後には問題になる。全く同じものでもだ。

これはそれをまさにトラウマにもつ人々や関係者がネタにされることを望まないということや、その経験からそれが笑いにできないということを現在の日本人が経験しているからだろう。

トラウマにしてもアスペルガーにしてもADHDにしてもこれと同じだ。地震をギャグに使うことは当事者としては問題ないと思っているのかもしれないが、震災被害者からすると聞いていられるものではない。地震放射能をバラエティ番組で扱うことを問題と考えるのであれば、これらの言葉についても自身で問題としてほしい。

これらになにか思うところがあれば是非とも本書を読んでほしい。本書だけではなく、よく耳にする障害や病気など、様々な自分が使っている言葉について知り、正しい知識を持って正しく使ってほしい。そうすればあなたの考えは根底から変わるはずだ。


閑話休題


私は以前に読んだ強迫性障害のようにトラウマやPTSDを理解しやすいように説明できるようにと本書を読んだ。本書に書かれていることは一般的で簡易的な物が多いが、初めて読む人にとってはトラウマやPTSD,ASDについて概略を知ることが出来るだろう。

私は本書の中で以下の言葉が心に残った。

P90.
当事者とまわりの人の温度さを理解して

これはどのような病気やケガ、障害についても言えることだ。

ちょっとした傷でも自分にとっては重大な痛みと感じることがある。だが他人からは傷の大きさからでしか痛みの度合いは判断されることはない。自分が重大な痛みを訴えていたとしても、他人からするとお大袈裟と言われておしまいだ。風邪などについても体温でしか判断されず、当事者の辛さなど考慮されることはない。

これはトラウマにとってもPTSDにとっても他の病気、障害、ケガにとっても全て同じことだ。

これをきちんと理解して、苦しんでいる人には理由があると考えるようにし、外傷の大きさや、体温などでは判断せずに、当事者が感じる辛さを理解して対応することをしてほしい。