ゴミ箱の中のメモ帳

まだ見ぬ息子たちへ綴る手記

使われない万年筆

私が万年筆についての記事を書くと何故か批判的な意見を多く頂く。

例えば「万年筆は実用品じゃないのか」を書こうものなら、「万年筆は落ち着いてゆったりと書くもの」だとか、「1日に10枚も書くのが異常」、「ニブの交換などもってのほか」など「実用品ってなんですか」と思える意見を多々頂戴いたします。

本当に本当に本当に心から「万年筆ユーザってアホだな」と思わせて頂く日々であります。

万年筆の教科書 (玄光社MOOK)

万年筆の教科書 (玄光社MOOK)


本当に実用品とはなんだろう。

先の記事書いたように万年筆ユーザの多くがコレクターと化していることは疑いの余地がないが、ではなぜ万年筆のコレクターとなってしまうのか。

万年筆の魅力の大部分はその書き味にあると私は思っている。万年筆ユーザの多くはそれに惹かれて万年筆を使い始めたはずだ。そして、その魅力から色々な万年筆を試していき、コレクターと化していったのではないだろうか。

そのコレクターと化してしまうと万年筆を芸術品として扱ってしまうのであろうか。それ故に万年筆を汚さないようにと使わなくなってしまうのだろうか。そして、万年筆を実用品として使っている人間を攻撃するようになってしまうのだろうか。

コレクターと化してしまった人も原点に戻って欲しい。是非「書き味」と言う魅力を考えてほしい。是非ともコレクションした万年筆から5本ほど書き味の気に入ったものを選び、他のものは処分してほしい。そうして万年筆を使うようにすれば、実用品としての本質が思い出せるはずだ。


万年筆を「落ち着いてゆったりと書く」としている人は普段は何を使っているのだろうか。ボールペンだろうか、シャープペンシルだろうか。私はその普段使っているペンとして万年筆を利用しているだけだ。

そして、普段から使ってるからこそ1日に10枚以上書く。例えば本日は50枚ほど書いた。50枚書くにはボールペンではなく万年筆が最適であるために万年筆を使っているだけだ。そして、このような使い方をしているからこそニブの交換をしたいのだ。


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例えば本日はこの分量を書いた。他にも情報カードやメモ帳にも幾らかは書いているが、メインはこれになる。枚数にして50枚だ。

字数を数えてみると、1枚あたり400文字から500文字が多い。半分程度の物もあるので平均して400文字と考えると、合計で2万文字だ。先の記事に取り上げた万年筆の寿命を考えると、このペースを1本の万年筆で続けると300日で600万文字となり1年も経たずに寿命となる。

ヘリテイジ92だと考えても、1年間で15000円の使い捨てペンとするとかなりコストパフォーマンスの悪いものになる。だからこそ少しでも安くニブの交換がしたいというのが私の望みだ。


万年筆は書き味がいいもののインクの容量が非常に問題になる。

例えば上の文量を書いていると、ヘリテイジ92(B)を2本と、パーカー75(F)のインクが空になってしまう。ヘリテイジ92は1.2ml、パーカーのカートリッジは0.9mlなので、3.3mlを1日で消費することになる。そもそも、インクがなくなったので書くことをやめたので、インクが続けばもう10枚ほど書いていたかと思う。

ヘリテイジ92は大容量コンバータのCON-70よりも容量の大きなものとなるが、これが1回で2本も消費するのは痛い。BなのでFに比べると何倍もインクの消費が激しいかと思うが8000字程度と考えると少ないと思わざるを得ない。ヘリテイジ92はスクリュー式なのでインクボトルを持ち歩くわけにはいかず出先では補充が出来ない。

こう考えるとBの万年筆は外出向きではないのかもしれない。Fであれば1本で50枚以上は持つかと思うが私は太めのペンしか持っていない。


このように使い勝手に難が出るのは実用品であれば仕方がないことだ。実用品であるから日々難点に気がつけるのだ。

うぅーーーん。FかMFのペンが欲しい。



このように実用品として使われない万年筆は万年筆ではない。使われない刀は竹光でも良いように、使われない万年筆はニブが無くても良いのだ。

万年筆が好きなのであれば、万年筆を集めるのではなく使うべきではないかと私は思う。