ゴミ箱の中のメモ帳

まだ見ぬ息子たちへ綴る手記

読書感想文の書き方

先日に「書くこと」を書いた。下書きをそのまま丸写ししたためにだいぶ意味のわからない文章となってしまっている。

だがまぁ言いたかったことは一つだ。「話せれば書ける」。

ジンバブエでは「歩ければ踊れる、話せれば歌える」という格言があるらしいが、「話せれば書ける」とは「話せれば歌える」より幾分も単純なことであろう。歌うとは言語以外の「リズム」が必要になるが、書くとはその言葉を文字に起こすだけだ。文字は言葉と一対一に対応しているので文字がわかれば書くことは出来る。

だれでも書ける最高の読書感想文 (角川文庫)

だれでも書ける最高の読書感想文 (角川文庫)


先の記事では「話している内容を文字にすればいいだけ」と簡単に説明し、会話と文章の違いについても書いた。


だがここまでで書いても「読書感想文」すら書けないという方もいるだろう。私も過去にそうだったのでその気持ちはわかる。だが読書感想文ほど簡単な文章は無いと今は思っている。

文章が書けないと言う方は読書感想文から文章を書くこと初めてみてはどうだろうか。読書感想文を書くということは本を読むということであり、先の記事にある「本を読むこと」のメリットも直接的に享受することが出来る。


まず、読書感想文がどのようなものか考えてみて欲しい。

読書とは日本語で書かれた文章を読むことだ。文章を読むとはなにか。文字を一つづつ追い、その文字の繋がりから単語を作り、単語の接続詞などから文を理解する。その文は以後や以前の文から設定を引き継いでおり、その設定から現在の文の意味を理解する。

会話もそうだが、言語とはこのように内容を構築して理解している。

読書感想文とは、この日本語で書かれた文章を読み、その感想を日本語で書くということだ。対象の言語と同じ言語で感想を書くことだ。

当たり前と思われるかもしれないが、これは重要な考えになる。


では逆に読書以外の感想を書くことを考えてみよう。

感想文としても色々なものがあるが、音楽や映画、絵画など「目で見て音で聞く」物を対象としている物も多くある。

これらは言語ではなく別の形式で表現されたものになる。これの感想を書くということは、その別の形式の表現を日本語に変換する能力が必要になる。これは非常に難しい。

音楽の感想文を書くことを考えると、口ずさんでリズムを伝えることは出来ない。自分がその音楽を聞き、それについてどう感じどう思ったかを言語で表現する必要がある。歌であれば同じ言語である歌詞について引用しその感想を書くこともできるが、音楽は引用というものが出来ない。多少であれば楽譜を書くことも出来るかもしれないが、それもあくまで表現方法の一つであり、聞いて感じた迫力を伝えることは出来ないだろう。

映画は音楽よりも具体的な「絵」があるので「行動」として表現できる箇所は増えるが、同じようにそれを表現するのは難しい。絵画という静止画であれば、「赤色が素晴らしい」と感じてもその「色」をどう表現するか非常に難しいところだろう。


これで同じ言語で感想を書くことが他の表現の感想を書くことよりも幾分単純なことがわかるだろう。同じ言語であればそのままに引用をすることも出来、その本の内容を伝えることも出来る。

同じ言語の感想としてはスピーチなどのレポートや感想もあるが、人の会話というのは話し手の表現方法や表情など、言語の他にも多種多様な表現が混ざっているために「聞いた言葉だけの」感想とはいかずこれも読書感想文と比較すると難しい。


小さな子どもの感想として「良かった」「おもしろかった」というのをよく聞くが、それは何も言うことがないからそのように一括して表現しているか、表現方法を知らないからそうなっているのだ。大人が読書感想文に「おもしろかった」と書いているのを見ることほど感想としてバカバカしい物はない。それは表現方法が幼稚なだけではなく、思考や知識が幼稚なままなのであろう。


読書感想文は「感想」であるので自分が感じたこと、思ったことをそのまま書けばいいのだ。総評として「おもしろくない」と思ったら「なぜ面白くなかったのか」と言う理由を書くことが出来る。そしてその理由からどのように改善すれば面白くなるのか、果てはその選んだ命題がなぜふさわしくなかったのかという感想すらも書くことが出来る。

単純に「面白かった、面白くなかった」と感じたとしても、そう感じた背景がある。その背景を書くことが「感想」であり、それが「感想文」であるのだ。


「面白かった」、「良かった」以外にも読書感想文に内容を羅列している方もいるが、あれも決して感想文ではない。それは「感想」ではなく「あらすじ」だ。あらすじを書いたり長い名前を感想文に取り入れるのは小学生が作文で文字数をかせぐ常套句だが、それを大人がやるというは発想自体が幼稚になる。

ここまでの事を考えれば読書感想文とはそれほど難しくないことがわかるだろう。本を読み「感じたこと」を書けばいいだけど。何も感じないのであればそれは「読書」ができていないのであり、感想以前に「感情」を養わなければならない。


この文章を読んで、「そんな簡単に書けるもんか」、「具体的な書き方が書いてないじゃないか」と思う方がいるだろう。それが感想だ。ではなぜこの文章がまずく、自分がこの文章を読んでも感想文が書けないかを書けば良い。それが感想であり、それを読書に対して行うことが読書感想文なのだから。