ゴミ箱の中のメモ帳

まだ見ぬ息子たちへ綴る手記

「へんな会社」のつくり方 近藤 淳也(著)

正直ここ最近まで"はてな"という会社が好きではなかった。理由は全くないが「なぜか」好きではなかった。

理由を考えてみると、私はみんなが好きというものを嫌いという傾向があり、みんなとは違ったことをするのが好き。よく言うと天邪鬼な人間。そんな私なので、多くのプログラマが利用していたはてなダイアリーを嫌い、Bloggerを利用していた。はてなブックマークも使うことなくここまで生活してきた。今思うと本当に馬鹿だった。

できるだけ国産のサービスを使いたいという気持ちはあったのだが、どうしてもはてなを使うことが出来ずにいた。そして先日この"はてなブログ"を使うことではてなの世界へ飛び込んでみた。そして気付いた。

素晴らしい。

まず、このはてなブログにしても「はてな記法」を利用することで自分でマークアップをすることなくブログ記事を記述することができる。MarkdownやreStructuredTextとは違う文法だが、Bloggerに比べるとこれだけでも非常に便利に感じる。

またGoogleのようにはてなはいろいろなサービスを展開しているので、はてなアカウント一つで多数のサービスが使えるようになる。はてなブックマークも使ってみたがこれが非常におもしろく便利だった。なぜ今まで使わなかったのかと悔やまれる。

「へんな会社」のつくり方 (NT2X)

「へんな会社」のつくり方 (NT2X)

感想

そんなサービスを展開している会社、株式会社はてな社長 近藤淳也さんが2006年に書かれたのがこの本。実際は、書籍向けに書かれた内容ではなくCNET Japan Blogに2005年7月13日から2005年11月30日までに連載した記事を書籍化したものらしい。だが、私はそのブログを読んでいなかったため、書籍発行から8年後の現在に初めて読んだ。

初めてというのは実際には嘘で、正確には二度目。数日前に大阪に帰る際に飛行機の中で読んだのが初回。そして、この記事を書くためにもう一度読んだ。私の人生の中で同じ本を二度読むことは珍しく、それも1週間以内に2度読んだ本は初めてかと思う。それくらい感動した。

先日までははてなを嫌っていて、数日前にはてなブログに感動したが、この本を読んで近藤さんやはてなのファンになった。それくらい影響力のある内容かと思う。

読み終えて率直に思ったこととして、本当にこの本は高校生の頃や、せめてブログとしてリアルタイムに8年前に読んでおきたかった内容になる。私が社会に出る前に心構えとして読んでおきたかった。現在でも非常に参考になり読んだことに遅いという感想はないが、もっと早い時期に読めていればもっといろいろな感想が持て実践できてきた思う。

今高校生でプログラマに憧れている人がいれば読んでいただきたい。お金がないのであれば連絡が欲しい。送付できるように努力する。

上に書いたような天邪鬼な私だが、近藤さんも同じような考えの持ち主のようで非常に共感できることが多々あった。そしてそれらの考えが非常に素晴らしい。はてなという会社がどのように進んできたか、これからどのように進んでいくかという内容も素晴らしいが、その考えを持ち、はてなを成長させてきた近藤さんや、はてな社員、はてなユーザすべて素晴らしいと感じられる。

私も新参者ではあるが、同じようにはてなの成長に貢献できるユーザになることが出来ればと思った。

プログラマとしてはかなり底辺なレベルの私ではあるかと思うが、このような会社で働いてみたいと心底思った。仕事をやめたところなので、はてなやはてなのような会社で働けるように勉強していきたい。今からでも遅くないと思っている。

引用と脱線

P3.
例えば、たまたま読んだ本に面白いことが書いてあって、専門外なので頓珍漢なことを考えているかもしれないけれど、正直のその感想をブログに書く。すると思わぬところから「その問題はこういうふうに考えることもできるのではないか」とか「私の意見はこうです」といった意見が届く。そして、より一層物事の理解が深まる。そういうことがインターネットではよく起こります。

この記事を書いているのもそうだが、ブログを書く理由としてこれが非常に重要な要素になるかと思う。ブログを書くというのはノートに日記を書くのと違って誰かに読んでもらうことが前提になるので、誰かの感想を求めているのと同義になるかと思う。そして、誰かに読んでもらうことが前提になるので、文章を書く練習にもなる。

私が読書感想文を書くのも、私が読んだ感想をまとめるというのもそうだが、その感想を誰かに読んでもらい、その感想の違いを教えてもらうことが出来れば自分で気づいていなかった視点に気付けるかもしれない。そのきっかけになればと思いこの記事を書いている。

P52.
一方で、新しいアイデアに対して否定的な意見を言うのはとても簡単です。「そのアイデアは著作権問題を抱えているから、権利者に了解を取るのが難しいんじゃない?」といった類の意見はたしかに正論なのですが、まだやると決まったわけでもないサービスに対して今からそんなことを行っても何も始まりません。できれば「著作権をクリアするために○○○な仕組みをくっつけたらどうだろう」という代案の形にしたほうが議論が前に進みます。

私はこういう発言を今までしてきたかもしれない。誰かの意見を聞いていると、いつも否定的な意見を思いつく、「こうも考えることができるのではないか」という事も考えるが、単に問題点だけをあげつらえるだけの場合もある。この文章を読んでその問題性に気づくことができた。

問題を上げつらう事なら非常に簡単にできるが、その問題を解決する方法を考えることは更に難しい。なので、解決方法を提示することが「意見」なのではないかと思った。問題点を上げ続けるだけなのは「文句」と変わりないかもしれない。

P92.
はてなで新しいサービスをリリースするときには、「50%くらいの完成度で出す」ことを心がけています。普通に考えれば、サービスは「これで完成」といえるまで作り上げてからリリースすべきような気がします。しかしウェブサービスの場合、半分くらいの完成度で出した方が、実際はうまく行く確率が高いです。

私も現在サービスを考えて制作しているが、どこまで考えて作っても考えがまとまらず悩んでいる。でもこう考えることで、とりあえずは動くところまでサービスを作ってあとはサービスを動かしながら需要を探ってサービスが展開できると気付いた。心強い。

P11.
僕はなぜか、「世の中は、誰かが適当に作った、とんでもなく"でたらめな仕組み"で動いている」という世界観を持っています。「世の中は、遠い過去からこれまでの人類の英知が創り上げてきた精巧な仕組みで動いていて、現時点での最適解になっている」などとは到底思えないのです。

P13.
もう少し大人になると、「社会のルールはおかしいのじゃないか?」という確信をますます深めていきます。例えば、中学校の制服です。
なぜか襟にプラスチック製の白いカラーがついた詰襟の服を、毎日着なければいけません。成長期の汗をよくかく時期なのに、毎日同じ制服を、ろくに洗いもせずに着続けなければならない(耐えられないので首にタオルを巻いてました)。襟が少し短かったり長かったりすることが格好良さの象徴でしたが、先生は少し短い襟や長い襟を「いけない」と決め付けて、取り締まる(長い襟は格好悪かったけど、短い襟はそれなりに良いと思いました)。

このあとに近藤さんが思うこのルールの解釈が続くのですが、私もこのルールには現在も悩んでいます。

何故サラリーマンは背広を着なければならないのか

私が直近まで働いていた会社では背広を着なければならないというルールはなかったのですが、その前の前に働いていた会社では背広での出勤と決まっていました。月に2度の土曜日出社の日には私服Dayとなっていて私服を着て行ってよかったのですが、そこに新入社員の私がジャージを着ていくと注意されました。

私服でいいと言われているのにジャージがダメな理由もわからないですし、なぜ普段は背広着用と決めているのに、わざわざ月2回は背広の着用を禁止するのかわかりません。

大きく言うと、なぜ背広の着用がルールになっているのかもわかりません。仕事の作業効率を考えると、明らかに背広ではなく私服のほうが作業効率がいいように思います。もし背広のほうが効率がいいと思う人がいるのであれば、その人だけが背広を着てくればいいだけです。背広だと伸びをするときにも生地に余裕が無いので引っかかりますし、生地が弱いため背広に気を使って作業をしなければなりません。しかも、近藤さんの記事の通り、クリーニングには毎日出すわけにも行かないので不衛生です。

夏にはクールビズとう名目でノージャケット、ノーネクタイと宣言している会社がありますが、夏にそのような例外ルールを設けるのであれば1年中自由なルールにすればいいと思いますし、エコという観点からすると、私服での作業であれば、自然に夏は薄着で冬は厚着になるので、空調費も節約になりエコにもつながります。

このルールについて何人かの人に尋ねても、「そうルールが決まっている」や、「そういうもの」等と、そのルールについて的確な回答があったことがありません。

背広が社会の常識なのであれば外回りを行う営業の人が背広を着るという理由はわかりますが、なぜ社内で作業を行なっている人間が背広を着なければならないのかが本当にわかりません。

なぜヒゲを剃らないといけないのか

私はヒゲを数ミリ伸ばしています。これは別に伸ばしたいから伸ばしているわけでもなく、好きで伸ばしているわけでもありません。中途半端に伸ばしている為に痒くて不便でもあります。ですが、ヒゲは剃らずにこの長さに伸ばしています。伸ばしている理由は、伸ばしたらいけない説明をしてくれる人に出会うために、そのきっかけとして伸ばしています。

前の会社にいた際はヒゲは剃れと言われましたが、理由の説明はありませんでした。理由を聞いても「清潔感がない」や「対面する人に失礼」と答えられるだけで、これにも的確な回答がありませんでした。

なぜヒゲを伸ばしていると清潔感がないのでしょうか?体の体毛の中でヒゲと鼻毛だけが伸ばしていると清潔感がないと言われてしまいます。毛があることに清潔感がないのであれば髪も坊主にするべきですし、脛毛も眉毛もそるべきです。ヒゲも鼻毛も必要があるから生えてきているのであって、それを剃るという事は体にとって不都合になるのに、社員にそれを強要する理由はわかりません。

調理師など、毛が抜けて料理に混入する可能性がある職に付く人は、少しでもその混入を少なくするという意味でヒゲを剃るという理由はわかります。ですがなぜサラリーマンがヒゲをそる必要があるのでしょうか?

さらに、「対面する人に失礼」というのは全く意味がわかりません。それを言っている人は、ヒゲを伸ばしている人と会うと「失礼なことをされている」と感じるのでしょうか? 少なくとも私は全く失礼だとは思いません。ヒゲを伸ばしていることを失礼と感じることが失礼だと思います。

話が脱線して言っていますが、さらに脱線させます。

P22-23.
もちろん何でもべらべら話せばそれでいいという訳ではありません。共有すべき情報を、積極的かつ適切に相手と共有する能力がとても大事だと思うのです。それには日頃から上手にコミュニケーションを行えるよう、努力を続けることが大事だという気がします。
例えば、恋人との待ち合わせに15分遅れた場合の会話を考えてみましょう。
A「悪い、遅れちゃった」
B「ちょっと、遅いじゃないの。なんで15分も送れるのよ」
A「ごめんごめん」
B「なんで遅れたのか説明してよ」
A「悪かったよ。ごめんって謝ってるじゃないか!」
B「遅れておいてその態度は何よ!!」
こんな感じで喧嘩が始まってしまうことがあります。さて、一体どういう会話が良かったのでしょうか。
よく考えてみると、「なぜ遅れたのか?」という"Why?"の質問に対して、「ごめんごめん」では説明になっていません。その間に本来必要であるはずの対話が2つ3つ抜けてしまっていると感じがします。

このように感じることは前職で非常に多くありました。退職エントリに頻繁に出てくるO社長は理由を尋ねても理由が返ってくることはありませんでした。理由がわかればその決定や結果になったことへの対応や対策を考えることはできたかと思うのですが、理由を尋ねてもその回答がなければ結果から判断することしかできません。
理由を聞いているのに理由を答えてもらえず、それに対して「謝ってるじゃないか」と怒り出すのは、そもそも形式的に謝っているだけで、謝罪の心があるようには思えません。


引用が多くなるためここで止めますが、他にもユーザからの要望窓口としてはてなアイデアを始めたようで、非常に素晴らしいサービスだと感じたのですが、今調べてみると、今月末の7月30日でサービスが停止になるようです。現在は他の方法での要望窓口の設置を始めていることが理由とのことです。確かにこの書籍の発行からでも7年ほど時間が経過しているので、はてなの運用体制や世の中の需要も変わっているかもしれません。このサービスが停止になるというのも、はてなが世間の需要を反映した結果でしょうか。

実践できること

この書籍からは非常に多くのことを学んだので、多くのことが実践できるかと思います。自分が制作しているサービスの開発状況や問題の公開、要望の採用、はてなで採用している開発方法も参考にできます。

直近で参考にできるのは、「50%の完成度で公開する」というもの。公開した所で話題性もないかもしれないのでユーザがいないかもしれないけれど、一人でもユーザが出来れば要望が出るはずなので、そこからサービスをより良い方向に持っていけると思います。

はてなのように、私も多くの人の役に立てるサービスを展開していけるようにがんばります。

「へんな会社」のつくり方 (NT2X)

「へんな会社」のつくり方 (NT2X)