ゴミ箱の中のメモ帳

まだ見ぬ息子たちへ綴る手記

15分あれば喫茶店に入りなさい。 齋藤 孝(著)

本書は著者の齋藤孝さんがどのように喫茶店を利用しているか、なぜ自宅や事務所、ファミレスやファーストフード店ではなく喫茶店なのかを書かれた書籍になる。

私も自宅では集中することができないので、よく喫茶店を利用している。集中できないとは仕事などではなく、単純に本を読むことに集中できない。自宅にいると周りに目が行ってしまい、すぐに家事や息抜きに遷移してしまう。うちの可愛い鳥ちゃんの鳴き声がうるさすぎるというのもあり全く集中できない。
なので、本を読むために喫茶店に出向いている。このブログを始めてから読んでいる書籍は全て喫茶店で読み、ほとんどの感想を喫茶店で書いてしまっている。

自宅でプログラミングを行うときもWebサイトを見てしまったりで集中できないため、是非とも喫茶店でプログラミングの作業が行えるようにもなりたい。
プログラミング時はインターネッツ回線を使いたいので、コワーキングスペース的なものが理想なのだが、長崎の私の近隣にはそのようなものは見つからない。長崎市コワーキングスペース的な場所を知っている方がいれば、是非とも教えていただきたい。

15分あれば喫茶店に入りなさい。

15分あれば喫茶店に入りなさい。


あくまでも本書は齋藤孝さんが集中しやすい、作業しやすいという経験から「喫茶店」を選び、それがいかに作業に向いているかという内容になる。
もし、ファーストフード店でも集中できるという方がいれば、ある程度は柔軟にそれを置き換えてもいいかもしれない。喫茶店ほどのスペースの中で、どのように効率的に作業をするかが記されている。

齋藤孝さんの時間の考え方や仕事への切り替え方が解説されているため、喫茶店でなくても、自宅で集中できるという方にもお薦めできる。

P25.
大学の授業で、学生に簡単にアンケートに答えてもらう課題を出すと、放っておくと20分でも30分でもかけようとします。「こんな簡単なことは5分以内でやって下さい。とにかく5分でかたちにすることが目的です」と予め宣言しても、5分で終えられない人がいます。私が企業の人事担当だったら、そういう人は採用しません。

P49.
10秒をピタリと当てられる人は、1分で挨拶する場合もジャストで出来ます。ときどき15分くらいへいきでしゃべりつづける人がいますが、1分が15分になってしまうなんて、どれだけ時間感覚がずれているのでしょうか。1分と言われたことを忘れたのか、それとも神経が図太いのか、時間間隔がないのか、そのどれでしょうか。

これは私にも体験がある。私がとある講座に参加していた際のこと。
受講生は毎日一人づつ3分間のスピーチをすることになっていたのだが、ほとんどの受講生はそれを億劫に思っていたようで、3分間に満たないスピーチをする生徒が多々いた。その講座の講師も元々はその講座の生徒らしく、自分が生徒の時はみんなスピーチを楽しんだものだと語りだした。「僕が生徒でスピーチ当番になった時は、3分間じゃ時間が足りなくて、プロジェクタを使って30分もスピーチをした」およそこんな内容だったと思う。

これを聞いて私は呆れ返った。「3分間」と制限時間が設けられているのに、それを超えるのはルール違反になる。用意していた内容を話すのに、緊張や言葉遣いを気にしてしまった結果30秒程度オーバーしてしまったというのであればまだ理解できる(オーバーしているのには変わりないが)。だが、30分というのはオーバーという次元ではない。制限時間の10倍も使っている。しかもそれを恥ずかしげもなく堂々と、いかにも「俺はこれだけしゃべることができる」という事を誇示するように伝えている。
3分間スピーチというのは、3分間でいかに自分の考えを伝えることができるかという練習であるにも関わらず、その制限を無視した経験を誇らしげに語るのはおかしい。制限時間を1分間オーバーするくらいなら1分間短く話し、後は無言で黙っていたほうがいい。制限とはそういうことだ。

社会に出たら、いかにこの時間間隔が重要であるかという事を経験するかと思う。コンペに参加した時のことを考えて欲しい。自分のプレゼンテーション時間が5分だとすれば、5分経過した時点で強制的にプレゼンテーションを中止させられる。30秒時間が余った場合は、重要事項を繰り返したりすることで時間を繋ぐことができるが、30秒のオーバーは出来ないのだ。最後の締めもなく終わらされてしまう。このプレゼンではコンペに通ることはないであろう。時間間隔のない人間とは仕事をしたくないとは共通認識かと思う。そういった人間に限って、業務時間外の仕事なども強要してくる。
時間の重要性とはこういうもので、自分に与えられている時間は決まっている。スピーチの時間は決められており、1日も24時間しか無い。延長はできない。その決められた時間を守るのが社会のルールなのだ。そのルールを守らないことがいかに愚行であるか、人に迷惑をかけるかは日々経験させられているかと思う。待ち合わせの時間を守らないという事も時間間隔のズレという意味では同じになる。人を待たせるというのは人の寿命を奪うのと同じなのだ。

本書にはこのような時間間隔についても再認識させられる。


このように齋藤孝さんの考えには日々共感させられるのだが、本書では一点「ひどい考え」と思わざるを得ない文章があった。

P34.
FAXするために文章を書くときも、青いインクを使います。正式の文書も青で通します。黒じゃないとダメと言われたときは、「欧米では正式な文書も青いインクですよ」と相手を説得します。そう言い続けてきたところ、黒いインクを使わなくてもそこそこ不自由なく暮らせるということが最近わかってきました。

よくバカな人がこう言う「〇〇ではこれがあたり前」。ここはどこだ。ここは日本だ。日本には日本の考え方があり、さらにその日本にも地域によって考え方が違い、地域でも人によって考え方が違うのだ。だからこそルールがあり、「当社の契約書は黒インク」と決まっていれば、それに従う必要がある。このように「欧米には欧米の文化」があり、そのように許容されているだけになる。
これがまかり通るのであれば、サイン文化のアメリカに行った際も「日本では正式な文書への署名には印鑑を使う」と行って、サインの代わりに印鑑を使って欲しい。通じないのは明らかだ。「郷に入っては郷に従え」が基本なのだ。環境に文句を言うのは愚行。環境に不満があるのであれば、その場その場でわがままを言うのではなく、法や条例の変更を求める行動を起こすべきである。環境に不満を言うのではなく、与えられた環境でいかにパフォーマンスを出すかを考えて欲しい。
与えられた環境の中で勝負をするという点に置いては、上のスピーチの制限時間と同じになる。

この文章には「説得」と書かれているが、「わがまま」としか感じられなかった。

著者は明治大学文学部の教授をしているようだが、講義中生徒に「欧米の大学では○○のようにしています」と言われ、明治大学のルールや齋藤孝の講義のルールと違うルールでの講義を求められたらどう思うのだろうか。それに従い講義内容を変更するのであろうか?


最後に否定的な意見にはなったが、齋藤孝さんの考えには学ばされる部分が非常に多い。本書もその中の一つであった。

15分あれば喫茶店に入りなさい。

15分あれば喫茶店に入りなさい。


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