ゴミ箱の中のメモ帳

まだ見ぬ息子たちへ綴る手記

大学に行きたい

前の記事に「受験勉強する奴ってバカなの?」を書いたが、これはこの記事の為の布石になる。

いや、ずっと思っていた。20歳くらいから思っていた。大学に行きたいと。


大学に行って遊びたいのではない、大学に行って彼女を作りたくないことはない、大学に行って学歴を取りたいのではない。勉強がしたい。今現在もこのブログに書いているように日商簿記2級の勉強をしている。他にもプログラミングの勉強や、医療の勉強もしている。

何か特定のことを学びたいのではなく、いろんなことを学びたい。だからこそ大学に行ってみたい。また、特定の資格を取るための条件には多く「大卒」がある。その条件をクリアするためにも大学に行きたい。


もちろん大学に行くと言っても生活があるため通学することはできない。大学に進むとすれば通信制の大学になる。放送大学なら安価で身近にスクーリング場所がある。働きながらの在学も可能だ。

誰か放送大学に詳しい人か、放送大学に一緒に行く人、学費を払ってくれる人はいないかな。そもそも、働きながら放送大学に行くサンプルケースとして私を無料で通わせてくれないな。

大学 (講談社学術文庫)

大学 (講談社学術文庫)


なぜ高校を卒業して大学に行かなかったのかを書く。ここ以下には大学については書いていないので読まなくてもいい。単なる自己満足だ。


私は家庭の事情で大学に行くことが許されなかった。そういう選択肢がなかった。

親は自営業をしておりその収入が10万円ほどしか無い。私の幼少期からそうであり、それでは一家五人が暮らしていけるわけもない。そのため親父はアルバイトをしていた。週6日、10時から22時までの12時間を自営業として働き、22時半から翌朝5時までをアルバイトとして働いてた。それでも合計20万円もなく、それで家族5人が暮らし子ども3人は学校に通っていた。

そんな生活であったが、親父は「高校は出ておけ」ということで高校に入ることは許された。だが単に高校に入るのではなく、その先に仕事として役立つ技能を手に入れられる高校に入らなければ意味がない。これが前出の記事に書いた工業高校を選んだ理由にもなる。


だが高校に入るとやはりその時はやってきた。高校に入って1週間くらいすると親父に言われた。「すまんが働いてくれ」。言われることは想定していたが学校生活に慣れる間もなく言われたことには少し違和感を覚えた。だがそれくらい家庭は逼迫していたのだ。

すぐにアルバイトを探し始めた。アルバイトはほぼ毎日入れ、扶養から外れるギリギリまでを考えてもらい働かせてもらった。私の家庭の事情を察してか、連休の忙しい時にはアルバイトとしてではなく、小遣いとして働かせてもらうこともあった。


私一人であればココまで働く必要もないのであるが、兄は暴走族、妹は中学生なので私が働いて家にお金をいれることしか考えられなかった。そもそもに、これまでに生活してきたことで多額の借金もありそれを返していかなければならない。妹とは2歳違いなので、私が高校3年の時に妹が高校に入った。妹は私立高校に入ったため授業料がさらにかかった。


私が高校を卒業し大学に進むと今までよりお金を入れることができなくなり妹の授業料が払えなくなってしまう。借金が返せなくなってしまう。大学に進むと自分の学費すら払えない。自分の学費は奨学金で何とか出来るかも知れないが、そうなると大学卒業後働いた時に家に入れるお金が少なくなってしまう。妹が大学に行くかどうかもわからない。

よって金銭的な都合により大学に行くという選択肢はなかったのだ。高校の教師からは大学に行くことを進められた。昼間は大阪大学で働き、夜に大学に行くという方法も考えてくださったが、それでは自分の学費は工面できても妹の学費や家族の生活費を稼ぐことができない。


これらの理由からどうしても大学に進むという選択肢がなかったのだ。その後妹は馬鹿高い専門学校に進んだので、私は働きながらその学費を払っていった。


今では妹は結婚し家を離れた。兄貴も家を出た。家のローンも払い終わり持ち家になった。だから私がこうして自由に生きている。自由になると勉強がしたくなった。だからこそ憧れていた大学に行きたい。

大学に行かなくても、このまま独自に勉強を進めていくことも出来る。だが大学に行き、自分の知識の確認をしていきたいのだ。


身近な統計 (放送大学教材)

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初歩からの数学 (放送大学教材)

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