ゴミ箱の中のメモ帳

まだ見ぬ息子たちへ綴る手記

運動をしない人は仕事もできない

これが私の持論である。実際に私の身の回りでも優秀な人はジムに通ったり自己トレーニングを行っている。それに引き換え「出来るふり」をしている人は運動をせず、自堕落な日常を送っている。

あなたがもし運動をしていないのであればこんな経験はないだろうか。「やろうと思ったがやらないことがある」、「しんどい、つらいことは避けてしまう」、「目標を立てても達成できない」、そして、「運動しようと思ったが続かなかった」という経験。

これらは全て「運動をやっていないから出来ない」現象だと私は思っている。

ここで上げる「運動」とは、趣味や娯楽でやっているフットサルや野球という意味ではなく、それらにも付随する日々のトレーニングになる。水泳や、ランニング、ジムでのトレーニングの事になる。



私は決してこの考えについて偏見や主観からそれらを漠然と思っているわけではなく、私なりに考え、実際とし経験とした中からこの「運動しない人は仕事も出来ない」と考えている。

運動は仕事のリスクマネジメント

リスクマネジメントという言葉を聞いたことがあるだろうか。簡単には「危機へ陥る可能性を低減すること」と考えていいだろう。

あなたは運動していないにしても、運動の重要性は理解していると思う。だが何らかの理由からその「運動をする」と言う選択肢を取っていないのかと思う。だが医学的に見てもこの「運動」という行為は重要になる。

運動をしていなければ抵抗力の低下や運動不足による生活習慣病、新陳代謝の低下からの老化の加速など、運動不足は数多くの体への不調をきたす原因となっている。体に不調をきたすということは仕事に集中できないことや、仕事の効率が下がることになる。最悪には出社不能となり仕事ができなくなることにもなりかねない。

ということは、運動をするということは最低限の仕事へのリスクマネジメントになるのだ。もし会社や業務の遂行を考えているのであればこれらは避けねばないことになる。そして、これについて考えている人は自ら進んで運動をし、これらのリスクマネジメントに務めているはずである。

だがこれらについて考えられていない方は「めんどくさい」、「しんどい」という理由から運動をしていない方が大半なのではないだろうか。

何も仕事に人生を捧げろというわけではなく、これらは今後の人生全てに関わってくる。その今後の人生について考えていれば自ずと運動を始めるはずだが、それら人生や、仕事の先を見通していないからこそ運動をしていないのだ。

しんどいことはしない

先にも書いたが、運動をしない理由の大半としては「しんどい」、「疲れる」、「めんどくさい」と言う理由ではないだろうか。もしかしたら「時間がない」、「お金がない」と言い訳を並べる方もいるかもしれないが、そんなことは運動をしないことの言い訳にもならない。

「時間がない」と言い訳したとしても、もしこのブログ記事を読んでいる数分の時間があれば腕立て伏せが何回出来るだろうか。ダンベルを何回持ちあげられるだろうか。ブログ記事を何本も読んでいたり、他にも2ちゃんねるを読んでいる時間、テレビを見ている時間の1時間があればジムでかなりの運動が行える。毎日でなくても一週間に2回でもこの時間を作れない人間は居ないはずだ。少なくともこのブログ記事を読んでいるあなたには。

「お金がない」と言い訳しても、これを見ているインターネット環境を構築する費用はあるのか。雑誌を買うお金はあるのか。ジムに通うには月に1万円強の費用がかかるが、それは自分への投資である。本を読んだり、いいご飯を食べたりするのと同じだ。自己投資だ。この自己投資を怠るというのも結局は先のことを考えていないという言い訳だ。ジムに通わなくてもランニングシューズ一つあればランニングは出来る、腕立て伏せなら四畳半の部屋でも出来る。なんの言い訳にもならない。

閑話休題


この「しんどい」、「疲れる」、「めんどくさい」とは、私が「運動しない人は仕事が出来ない」というそもそもの理由だ。その、「しんどい」、「疲れる」、「めんどくさい」ことを自分から進んでやっていけるかと言うのが、仕事が出来る人と出来ない人の違いになると考えているのだ。

私は運動としてランニングを日々行っている。1年の数カ月はジムに通ったりもする。だが日々の30分や1時間のランニングは辛い。ジムで150kgのレッグプレスや、50kgのラットプルダウンを100回とするのは毎回に辞めたくなるほどになるほど辛い。正直なところ、「なぜ金を払ってこんなにしんどい思いをしなければならないのか」と思えるほどに辛い。

だがこの「つらい」、「しんどい」ことに自分から進んでいけるのかということが重要になる。例えば日々にそのような運動をしている人は、どのような辛い仕事が来たとしてもそれに向かっていくという習慣が出来る、精神面でもその根性が出来る。だがしかし、日々にその訓練を行っていない人々は逃げようとしてしまう。目の前に辛いことがあればそれを避ける言い訳を考えてしまうのだ。運動をしない言い訳を考えるように。

そしてそれらを日々続けることで運動を「習慣」に出来る。運動をしていない人はこの「習慣」ということも少ないのではないだろうか。「今日はめんどくさいからいいや」、「明日しよう」と結局どのようなことも続かずに「続かないということ」を続けているのではないだろうか。

目標、計画、実行のループを自分で組み立てられる

運動は辛い。私が言うのも何だが本当に辛い。だがその辛いことにも目標と計画、実行がつきまとう。

「来月は腕立て伏せを30回出来るようになろう、ランニング5kmのタイムを30秒縮めよう。」と運動をするにも目標を決めることが必要になる。ただ目標も決めずに「走る」ということを決めているだけであればそれはなんの役にも立たない(走らないよりはマシだが)。なぜならそれは結局、「今日はこれだけでいいや」、「疲れたから終わり」、「今日はいいや」と、結局のところ「しんどいところでやめる」と言うことになってしまうからだ。

だからこそ運動をするにはその目標を定め、その目標に達するための計画を立て、それを実行するという作業も必要になる。だがそれは、仕事においても重要なことではないだろうか。日々から目標を立て、それを成功させる計画を考え、それを実行する。この訓練ができていれば新しい仕事が来たとしても、計画を立てる訓練になっているはずだ。

私も最初は5キロを30分と言うゆったりなペースから5キロを20分のペースまで上げ、そこから腕立てやダンベルなどを順次追加するようにしてきた。



本当に言う。運動は辛い。辛いことしかない。腹も減る。

だがこれに耐え、自分で計画し、進んでいける人こそが「仕事も出来る人」となっていくのではないだろうか。


私はそう考えている。

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