なぜGNU/Linux、*BSDを使うのか
この記事は長い。そう、無駄に長い。いつか編集して公開しようと思っていたが、いつまでも公開しなかったので無編集のまま公開することにした。1年以上前の記事なので少々事情が変わっているが、とにかくこのまま公開する。長い上に内容もない。ただの日記だ。
これは非常によく聞かれた。
「聞かれた」と過去形な理由は、最近はGNU/Linuxの知名度も上がり、また、iPod/iPhoneのおかげでMacユーザも増え「Windows以外のパソコン」という認識が出来始めていることや、iPhoneで動くアプリ、Androidで動くアプリという違いで「OSの違い」を理解してくれているユーザが増えてきているのか最近は昔ほどは聞かれない。
だが、昔(10年ほど前)はGNU/LinuxやNetBSDを使っているというのはバカにされる対象にあったと感じていた。
こんなことを言われた。
- 作者: 佐々木康之
- 出版社/メーカー: 技術評論社
- 発売日: 2013/03/05
- メディア: 大型本
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現在はUbuntuLinuxを主に利用しているのだが、そもそもなぜをこれ使うようになったのかを思い出してみる。ことはかなり遡って12年ほど前、私が高校1年で初めてパソコンを買った時からの話になる。
初めてパソコンを購入したのは高校1年の末頃だったかと思う。
理由としては単に三重野瞳の情報が欲しかった。現在もそうだが当時はかなり三重野瞳に入れ込んでいた。ラジオ大阪に三重野瞳が出演しているラジオがあったので、そのラジオ(瞳と光央の爆発ラジオ)やその周りで宮村優子の直球で行こう!等いろいろなラジオを聞いていた。放送の中でインターネットのホームページのことを口にすることがあったので、それを見てみたかった。ラジオでは知ることのできない情報をインターネットでは自分で探すことができるという事に惹かれた。
バイトで貯めたお金を使って、http://www.sony.jp/products/Consumer/PCOM/PCG-C1VSX/:VAIO C1(PCG-C1VS/BW)を20万円強で買った。型番を今でもスラスラ言えるくらいに思い出に残っている機種だ。そしてインターネットの契約をしたかったのだが、親父がゆりしてくれなかった。当時は低価格ADSLが始まった来た頃で1.5Mbpsが月額5000円ほどで契約できる時期だったのだが、「電話線は触らせない」というわけのわからない理由で許可してもらえず、AirH"を契約した。32Kbpsの使い放題で、端末費用も含めて月額6000円以上したと思う。非常に回線は遅く、特に自分の部屋では電波が悪くYahooのトップページを見るのにも数十秒の時間がかかった。
それでもインターネットはすごかった。三重野瞳のホームページや三重野瞳のファンのホームページが見れるだけではなく、回線の都合でかなり細切れだがインターネットストリーミング放送までも見ることができた。感動した。室内では電波が悪いので近所の公園で見るほどに楽しかった。
だが、回線が遅いのは仕方がないにしてもなんせパソコンがよくフリーズした。現在はフリーズという言葉自体が死後になりかけているが、WindowsMEは5回中2回は起動にすら失敗するという感動モノ。しかもVAIOなので起動直後からいきなりの「リソース不足」のメッセージ。新品で買っているのに何が不足しているのかわからなかった。
当時工業高校の機械科に通っていたのだが、無線部の顧問が情報科の先生ということがあり、リソース不足について相談した所「メモリを追加すればいい」という回答を頂きメモリを買いに日本橋まで行った。当時のVAIOは独自規格絶好調の時だったので、メモリの追加にもSONYにPCを送付して工賃とメモリ費用で5万円也と言う時代だった。さすがにメモリの追加にそこまでは出せないが、インターネットで調べるとIO-DATAが128MBの追加メモリを生産しているという事だったので日本橋まで買いに向かった。128MBで2万円ほどだったかと思う。オフィシャル情報では64MBの追加しかできないが、IO-DATAのメモリは128MB追加できるのでその容量であればリソース不足とはおさらばと思い込んでいた。
だが、メモリを追加してもリソース不足は解消しなかった。当時はOSなんて言葉もリソースという言葉も知らない上に、詳しい先輩にプロバイダの接続ソフトをどんどん消されることに恐怖すら覚えていた時代だったので理由は全くわからなかった。「パソコンというものは最新の精密機械だからトラブルは仕方がない。5回のうち2回起動に失敗したとしてもそれは最新鋭だから仕方が無いこと。」と自分に言い聞かせ使っていた。
そのうち私がインターネットを使ってることを羨ましく思ったのか、急に親父がパソコンとインターネットを購入すると言い出した。正直ビビった。あれだけ反対していた親父がADSLを引くと言い出したのだ。2年契約のAirH"はもう使い道はない。だが嬉しかった。今までカクカクだった動画がこれでバッファリングを待たずに見ることができる。これは嬉しかった。
そしてそのインターネットライフを満喫していると、発端は忘れたがWindows2000と言うものを知ることができた。「それはビジネス用のパソコンに入っているもので一般的なソフトは対応していないが安定している。」という情報を元に、「安定している」というものがどういうことかわからなかったがWindows2000を入手しVAIO C1にインストールしてみた。
感動した。電源を入れたらちゃんと「起動」する。起動した後に「リソース不足」というメッセージが表示されることもない。これがパソコンというものか。心から感動した。ここでOSというものを知り、OSを変えただけでこんなにパソコンが変化するという事を体験した。
そこでいろいろなOSを体験してみたいと思い、当時発売されたばかりのRed Hat Linux 8を日本橋まで買いに行った。当時Red Hat LinuxパーソナルとRed Hat Linuxプロフェッショナルの二つのバージョンが販売されていてパーソナルは8000円程度、プロフェッショナルが2万5000円程度だったかと思う。悩みに悩んだがパーソナルが良ければプロフェッショナルを買えばいいという考えで、とりあえずはパーソナルを購入することにした。この考えは正解だった。自宅に持ち帰りインストールしてみるとインストールすらまともにできない。VAIO C1のCDドライブからブートしないのだ、CDドライブのドライバがな買ったのだと思う。(これまでも含めて結構記憶は曖昧。
8000円も出して購入したOSがこんなわけがない。悔しかった。
時は流れて2台目のパソコンとしてデスクトップPCを組んだ。当時は「PC-DIY」などいろいろな自作PCを扱った雑誌があり、自作PC全盛期だったかと思う。そのPCには親父が契約したADSL回線を繋げることができた。そしてそれに待望のRed Hat Linux 8 パーソナルをインストール。これを作る時点で、Red Hat Linux 8が動作するPCを入念に調べて組んだので問題なくインストールはできた。記憶ではCeleron 1.8GHz/256MB/40GB/GeForce2 MX400で組んだ。ビデオカードが最重要で、それを間違ったら画面が出ないとすら知っていたので、調べに調べてこの構成にした。
インストールはすごく新鮮だった。インストールするときにいろいろなアプリケーションをインストールすることができる。Windowsではベクターから一つづつダウンロードしてインストールをしなければならないのだが、Red Hat Linuxではそんなことしないでも、動画再生からなにからOSインストール時にインストールできるのだ。すごすぎる。
インストールで感動したものだが、インストールが終わればもっと感動した。・・・。使い物にならない。Windowsでいうところのメモ帳としてGNOMEにgEeditと言うものがあったのだが、それが「確実」に保存が「出来なかった」。言ってることがわからないかもしれないが、テキストの保存ができないのだ。保存操作をすると100%の再現率でgEditがクラッシュしてテキストを忘却の彼方に失ってしまう。
OSの違いでパソコンは違うと再認識した。
それからまもなくTurboLinux7の本に付属していたCDからTurboLinuxをインストールしてみたりいろいろやってみたが、どうもLinuxというものは使い物にならないという経験をした。インターネット上(主に2ch)にはLinuxはすごいという記事が多々あり、また当時は高2にも関わらず中2病をこじらせていたので他の人と違ったものを使いたがったがLinuxは正直厳しかった。
そして超漢字やいろいろなものを購入して試した結果、NetBSDが素晴らしいと感じるようになった。WindowsやLinuxではどういうプログラムが動いていてどれが動かなくなったのが原因でOSがクラッシュしているのかがわからなかったが、NetBSD 1.6はインストール直後では数個のプログラムが動いているだけで、あとは1から自分でプログラムをインストールして動かしていく。Xすらも自分でインストールして設定ファイルを書いて動かす必要がある。正直面倒くさかったが、自分で設定するということは自分が本当にパソコンを操作しているようで嬉しかった。
ただNetBSDは面倒くさすぎた。何かを使うにはプログラムのコンパイルからする必要があり、依存関係は解決されるもののそれを動かすためには土台からの勉強が必要だった。そこで勉強したことが現在の知識のベースになっているとは思うが、面倒くさすぎてしばらく使っていると嫌になった。それからLinuxにもどってみるとRed Hat Linux 9やもうしばらくしてFedoraは昔に比べると不便はなくなり、さらにFlashプレーヤもインストールできる状態になりWindowsがなくても問題なくなった。
それから数年も経つとWindows環境は一応用意しているものの使うことがなくなる生活を続けていた。だが、GNU/Linuxではどうしてもrootでの作業時にsuするのがめんどくさいなど不満を感じていた。UbuntuLinuxの存在は当時から知っていたが、書店にはUbuntuLinuxの書籍が並んでいたりと「初心者向けのLinux」と中二病の認識をし、使うことはなかった。が、ふと10.04を使ってみてビビった。使いやすい。それまでは不便な点があると認識しつつGNU/Linuxを使っていたが、UbuntuLinuxだと不便が全くない。不便が全く無いどころか使いやすい。非常に快適。今までのPC生活の中で最も快適と感じた。
これには衝撃を受けた。インストーラにしても、それまでのFedoraやCentOS、VineLinuxのインストーラはパッケージを選択してからダウンロードやインストールを行ない、さらにインストール中は何も作業ができないので、ガイドを進めつつダウンロードを進めて欲しいと感じていた。だが、UbuntuLinuxのインストーラはパッケージを選択する場面がない。パーテーションの設定等のハードウェアの基本設定をすればダウンロードとインストールを進めてくれる。パッケージの選択がないということはインストール後の環境が統一されるので、インストール直後にはユーザによる違いがなく標準化されている。これは素晴らしい。
インストーラでさえも10年ほど不満に思っていたことが解決されている上に、他のディストリビューションではrootになって作業しない溶けないことも全ての作業がsudoで作業を行うようになっている。これは非常に便利だ。便利この上ない。
このようにUbuntuLinuxにたどり着き現在までで3年ほど利用している。UbuntuLinuxはそれまでの、「WindowsじゃなくてGNU/Linuxでも十分」と言う認識から、「WindowsではなくUbuntuLinuxが便利」と言う認識にまで変えせてくれた。
長くなったが、これがわたしの今までのOSの歴史。最後の方は変化がなかったので省略しているし、最初の方はもう10年以上前になる部分もありうろ覚えだがだいたい合っているかと思う。私がPCを触り始めた当時のGNU/Linux環境から現在のGNU/Linux環境は本当に変化したと感じている。Webシステムの製作者であればGNU/Linuxの名前を知らない人はいないと思うし、多くのプログラマがGNU/Linux環境を使っている。これもオープンソースコミュニティの人々の努力の結果かと思う。
当時はGNU/Linuxを使っているというと馬鹿にされていたが、馬鹿にされた所でへこたれること無く努力を続けてきた人たちに感謝したい。ありがとう。私はこれからもGNU/Linuxや*BSDを使っていきたいと思っている。
より素晴らしいOSがコミュニティの手に寄って作り出されるまでわ。
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