ゴミ箱の中のメモ帳

まだ見ぬ息子たちへ綴る手記

3.11と言うヤバさ

東北地方太平洋沖地震を3.11、アメリカ同時多発テロ事件を9.11と言っている奴のヤバさがすごい。

世間では「3.11を忘れない」等とわけのわからないデモや講演がされているが、忘れているのはそいつらであるとしか思えない。

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まずなぜ「東北地方太平洋沖地震」を「3.11」というのか。「3月11日」ではなく「さんてんいちいち」だ。なぜか。単にそのほうが呼びやすくリズムがいいからという理由だけだ。過去には9.11という事件がありそれを「きゅうてんいちいち」とよび、それ以前の事件についても同じような呼び方をしているものは多々ある。それは「事件」という都合上、「その日程」で犯行予定や犯行声明があったから日程を多少重要視するのも意味があるかもしれない。

だが、東北地方太平洋沖地震は事件ではない。災害だ。日程になど全く意味はなく、たまたまその日に起きたというだけだ。日付に何の意味もない。


考えて欲しい。東北地方太平洋沖地震での経験は何なのか。日にちが重要なのか。場所が大事なのか。

地震が起き、人が死に、建物が破壊され、原発が被害を受けたという内容が大事なはずだ。日付が3.11だろうと、3.12だろうとどうでもいい。地震はその日に起きたかもしれないが、死傷者はそれ以後も増え続け、被災者の苦しみや原発の問題は現在も進行している。

それを過去のことのように、さらに災害を名称ではなく3.11と言う呼び方をしていくから忘れられていくのだ。


阪神・淡路大震災新潟県中越地震が起きた日付を覚えているだろうか。関東大震災の日付を知っているだろうか。覚えている人は被災者本人か受験勉強の名残で覚えている程度であろう。日付などどうでもいいのだ。重要なのは「それが起きた」という記憶と、それに対応する準備だ。

実際にこれまでも阪神・淡路大震災新潟県中越地震等の大型地震は度々起きている。だがこれらのことを「自分とは関係ない」と考えているから同じことを繰り返しているのではないだろうか。今現在も何の準備もしていないのではないだろうか。北海道や沖縄の人間が地震の備えをしているだろうか?


日本人の平和ボケ」と言う記事を書いたが、本当にそうだ。一度起きたことを「これはもう起きないだろう」と考え対策をしない。今準備をしていたとしても10年後に今のレベルが続いているだろうか。大半が、今の非常食品の賞味期限が切れたらそのまま次の準備をしないのではないだろうか。

今現在も富士山の噴火が話題になっているが、それについて考え準備している人がどれだけいるだろうか。


このように今の日本人はすぐに忘れる。3.11と言う呼称にすればさらにそれは加速するだろう。地震直後は「節電」が叫ばれ、無駄遣いしている人間がいれば非難していたが、今現在は当人がジャンジャン電気を使っている。原発の反対を叫ぶ人間が電気を使い続ける。「節電」と言っていた人間が当時の状況を続ければ、どれだけの電力が節約できるだろうか。それによる環境破壊を防げるだろうか。

所詮その程度なのだ。3.11と言っているような奴は何も考えていない。単にそれを利用しようとしているだけだ。


次も地震が起きれば同じ状況が繰り返されるだけだ。

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3・11に勝つ日本経済

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