「日本」を捨てよ 苫米地 英人(著)
本書のタイトルは「日本を捨てよ」という少々過激なものととらわれるかもしれないが、いかに日本がアホによるアホのためのアホな国かという事を説明し、その日本から出るという行動も出来るのではないかという選択肢の話になる。
世間の認識と違い日本人は昔から命について軽んじてきたし、「人のために行動する」という考えもない。極めつけは「自分で行動するのはめんどくさい。誰かがやってくれるだろう。」と、自分の労を使わずに文句を言い、それを誰かに押し付けるというような思考原則だ。
これは政治や政治家批判は声高らかに活発に行っているにもかかわらず、自分が政治家になろうとしないことや、それらを深く学ぼうとしないようなものだ。結局の所、それらを学び勉強し行動した人間が政治家になっているにも関わらず、それらを批判して引き下ろそうとする。引き下ろした結果どうなるかなど考えもしない。
政治を批判している人間の考えを真に受けて法を変更すれば日本はすぐに終わるであろう。
誰かが批判しているので、それに便乗して批判するが、それが誤りであったとしても責任は自分にはないと考えている。
- 作者: 苫米地英人
- 出版社/メーカー: PHP研究所
- 発売日: 2012/03/15
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本書は私が考えていた日本人のアホな文化とピッタリ当てはまる。本書の中では「菊と刀」から「恥の文化」として日本人の文化を表しているがまさにそのとおりだ。
「恥の文化」については「菊と刀」を読んでいただければわかりやすいが、日本人は「誇れること」、「素晴らしいこと」、「人のためになること」をするのではなく、「恥にならないこと」を重要視して行動を行う。例えばある局面で「やる」か「やらないか」の二択があったとしても、失敗した結果それが「恥」になると判断したらそれを「やらない」と言う選択になる。やらなかった結果が「恥」となるのであれば、失敗することがわかっていても「やる」事を選択する。だから「責任」を人に押し付け、自分が責任をとらなければならない行動はしようとしないのだ。
これは「自分から積極的に行動しない」や「自己主張が弱い」ということに当てはまり、自分たちを高く評価しようと「控えめ」と表現するがそれらは誤りで、結局、自分から行動した結果それを失敗すると「恥」となるため、自分から行動してかないというものに繋がっている。
先の「寄附やボランティアという意識が低いと思う」で日本人が寄付や募金をしないことを書いたが、これは日本人の宗教観もさることながら、「自分さえ良ければいい」という考えから人に対しての善行をしないものになる。
だが、東北地方太平洋沖地震の直後には寄付金が跳ね上がった。これは「助けたい」や「役に立ちたい」を言う考えではなく、「募金や寄付をしていないのは恥だ」と言うことからの行動になる。寄付金がその直後だけの増加であったことや、それ以前に寄付をしていないことからもそれらの理由でないことは明らかかと思う。これは「「復興を願う」と言うバカ」にも書いたように、「私はこんな行動をしていますよ」と言う世間へのアピールのためだ。それを掲げないことは恥になるのだ。そのために無駄に金が使われる。
本書はこんな日本人のアホな考えをうまく表現している。
P24.
ところが、大震災に襲われた被災地では、巨大なショッピングモール内で商品が放置されているすぐそばで、被災者たちがお腹を空かせながら救援物資を待つという、馬鹿げた状況がいたるところで見られたのです。
P23.
悪質な略奪が横行しなかったのは、たしかに幸いでした。しかし、命よりも財産権が優先されるのはさすがに行き過ぎと言わざるをえません。
これは商品を盗むことが悪いことと考えているのではなく、商品を盗んでいることが誰かに見られているかもしれず、それが将来的にバラされては一家の恥だということに繋がっている。例えば日本人の集団心理から、一人で行動はせずに、複数人であれば行動するのと同じだ。それがバレたとしても、「そそのかされた」と責任を回避できる。嫌な文化を持っている。
本書はこのように日本を捨てると言う大げさなことではなく、日本人の文化についても客観的に知れる書籍となる。是非とも読んで欲しい。