ゴミ箱の中のメモ帳

まだ見ぬ息子たちへ綴る手記

バイリンガルは二重人格 苫米地英人(著)

本書の内容は、私が言いたかった英語の学び方をそのまま表している。非常にわかりやすい。

例えば私は「英語の勉強」など無意味だと話している。理由は単純で、「英語」が話せたところでそれが意味を持たないからだ。例えばアメリカ人が日本語を文法的に正しく話せたところで、道端に生えている草をむやみに分ではならないという考えまで理解できるだろうか。

英語を話すということに重要なのは、英語圏の文化を正しく知り、それを言語として表現することである。そして、自分の思考を正しく英語として表現できることが大事なのである。

私は英語が話せるという人間を多く見てきたが、その大半がこのことを理解していない。結局の所、日本語で考え、日本語を英語に変換し、その変換した結果を読み上げているのだ。英語を本当にネイティブに話せる、理解できているというのは、昨日読んだ新聞が産経新聞なのか、英字新聞なのかそれすらも思い出せないほどに自然に読むことができるかということになる。

英語を話すときは英語で考え、夢すらも英語で見る。こうなって初めて英語をネイティブに話せるというものになる。

バイリンガルは二重人格 (フォレスト2545新書)

バイリンガルは二重人格 (フォレスト2545新書)


本書ではこのことを「二重人格」と表現している。日本語を話すときは日本の文化、日本の常識、日本の考えにそった思考をして話す。そして英語を話すときはアメリカの文化、アメリカの常識、アメリカの考えで話す。そのために、その根底となる思考を切り替えるために二重人格となるのだ。

この二重人格は別に珍しいものではない。職場の自分と家庭の自分では考え方も話し方も行動すらも変わるであろう。職場では資料整理をきちっとしていても、家庭では賞味期限切れの食べ物が冷蔵庫に入っているような状況。これは環境に応じて考え方を変えたものになる。

バイリンガルになるにはもっと根本的な思考を変える必要があるとしその説明がされている。非常にわかりやすく納得も出来るかと思う。


これから英語を学ぼうと思うのであれば、まずどのような考えのもとに学ばなければならないかという理解のために本書を読める。