ゴミ箱の中のメモ帳

まだ見ぬ息子たちへ綴る手記

フィンランド式 考える力を伸ばす本 ~日本人に欠けている読解力を身につける~ 諸葛 正弥(著)

これは酷い。ドイヒー。

紀伊國屋のポイントを貯める一方で使ってなかったので年内で切れるポイントがあっり何冊か普段だったら買わないと思う本をポイントで買ってみた。そしてこれは酷い。どいひー。

まず本書を読んでも考える力というのは伸びない。単にある問題を出された時にそれを解決する能力が伸びるだけだ。いや、伸びはしない。その問題を解決する時にどうすればいいか書いてあるだけだ。その問題というのも本書の問題に限定される。

フィンランド式」とあるが、フィンランドの計算ドリルの穴埋めを真似した程度のものになる。


普段読まないと思う本はやはり読まないべきだと思う。たまにポイントがあればこういった買い方をするが毎回思う。今の所買ってよかったと思った本は一度もない。

だがその酷さ経験すると本を購入するときの目利き能力が確認でき、更にはそれを実証できるのでそういった意味ではいいかもしれない。


本書のように「○○式」とかこつけた書籍は多々あるが、その多くがその方式が何故優れているのかということを確認、実証しないままに方法論だけ真似ている。それが優れているには理由があり、理由があるからそれは優れているのだ。これがわかっていない。

優れている方法があるとしても、その形式はその状態でなければ再現できないかもしれない。例えばアラビア数字では四則演算をするとき筆算として縦並びに変換して行う計算法がある。だがこれはアラビア数字が「位取り記数法」で表現された数字であるからなせる計算方法だ。この筆算をローマ数字での計算に当てはめることは出来ない。

このように本書の内容もフィンランドの方法を形式だけ真似ているだけでその理由が再現出来ていない。たとえ方法をそのまま真似しているとしても、それはフィンランド語やスウェーデン語だから出来るもので、日本語では再現できないものかもしれない。カレンダーを考えても日本とアメリカでは年月日、月日年のように考え方が違う。


何度も言うがその方法が優れているのではなく、その理由が優れているのだ。その方法を異なる環境で再現したければその理由をその環境に変換しなければならない。形だけを変えても意味はないのだ。

本屋で本書を目にしたら10分もかからずに読めるので是非とも読んでほしい。これが実感できるはずだ。