攻略本
ゲームって楽しいからやるんだよな?自分で考えてクリアしていく過程が楽しいんだよな?
私はゲームをしないのでこの考えすらもわからないが、世間のゲーマーなる人間たちの考えが全くわからない。
攻略本なるものは何のために買うの?言われるがままに操作して楽しいの?それなら最初からゲームにクリアのマニュアルを組み込んだり、進むべき方向や操作をアナウンスしてくれるシステムを組み込んでしまえばいいんじゃないの?
確かに出版社からすれば同梱されればたまったものではなく、ゲーム販売業者からしても攻略本のライセンスでの儲けがなくなるのでそれは望まれないかもしれない。だが攻略本はそのような商業過程の産物として、ゲームから切り離されているだけなのだろうか。
- 作者: 玉村豊男
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2009/06
- メディア: 新書
- クリック: 14回
- この商品を含むブログ (12件) を見る
例えば私は「風来のシレン」と言うゲームをしていたことがある。これは未識別のアイテムでも売値からアイテムがなにかわかるという。そのためにゲームを進めながら、そのアイテムがなにか調べつつ進めるという人間が居た。それの何が面白いのか。
未識別のアイテムは識別のために読むことや、読もうとした際にアイテムを選択させられるかなど、色々な要素でも判断できる。そして実際に読めばそれが識別され、モンスタールームが発動させられるのが怖くて階段の上で読んだり工夫する。
ゲーム製作者はそのゲーム性を持たせるために「未識別」というアイテムを作ったのに、それを否定していることと一緒ではないか。未識別のアイテムの値段が固定されているということは、それに気がついて自分でメモをしたり価格からおおよその判断できるようにと期待してゲームを設計したのではないのか。これら全てのシステム、開発者の意図を否定しているようにしか思えない。
であれば最初から全て識別済みという設定をリクエストすればいいだろう。そうすれば攻略本と見比べる手間がかからないし、攻略本を購入する費用も節約できる。
どうぶつの森と言うゲームをやった時も、季節によって釣れる魚を掲載した攻略本があるようだ。そんなものは攻略本ではなく図鑑で自分で調べるべきことではないのか。
なぜそこまで楽をしてゲームをクリアしたいのか。言われたままに操作するのであれば、それは決まったシナリオを見ているのと同じだ。映画を見ているのと変わらない。
今のこのアホな国では、言われるがままに生きていくことすらも楽しいと思われているのだろうか。