ゴミ箱の中のメモ帳

まだ見ぬ息子たちへ綴る手記

ユーザ目線

「ユーザ目線で考えたい」

非常に良く聞く言葉だ。この言葉も非常にバカバカしい。

ユーザ目線とは何か。なぜそれで考える必要があるのか。

例えば私の以前の職場にもこの言葉をよく使う社長が居た。そしてその言葉を聞く度に馬鹿だと思い、その勘違いを指摘してきた。

「ユーザ目線とユーザは違う」のだ。

ユーザ中心ウェブビジネス戦略 顧客心理をとらえ成果を上げるプロセスと理念

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その社長はプログラミングの知識がなく、PCの知識も基本的にない。インターネットのWebサービスもほとんど使っておらず、日頃からインターネットもほとんど見ようとしない人だ。

その社長がWebサービスを制作する提案をしてきて、その機能や設計には「ユーザ目線で考えたいから」と感知しようとしなかった。それはユーザ目線で見たかったのではなく、それらの勉強や知識を付けたくなかったから発した言い逃れであった。他の場面でもその言葉を使う人間の多くがそのような状態の人たちだと感じている。

きちんと正しい知識を持っている人間はそんな馬鹿げた言葉など使わない。


ユーザ目線とは世間の解釈で言うと、ユーザの立場に立って考えることだろう。だが、ユーザの立場に立って考えることとユーザであることとは根本的に違う。

ユーザの立場に立つとは、ユーザよりも高い位置にいるからこそできる事だ。ユーザより高い位置にいるからこそユーザ間の関係やユーザの行動を見て考えることが出来、それに対応することが出来る。ユーザ目線が本当にユーザと同じ立場に立っているのであれば、これらを考える事は出来ない。俯瞰で見るからこそユーザの行動を見ることが出来るのだ。


例えばWebサービスで考えてほしい。Webサービスのユーザはその提供されているサービスを提供されているまま使うことしか出来ない。

それに不便だと思うことがあってもユーザではそれはどうしようも無い。その問題はどのようにしたら解決できるのかもわからないし、ユーザからすればそれが全てなのだから解決しようとも思わないだろう。

だからこそユーザよりも高い目線で見れる立場の人間が、それを解決するにはどうすればいいか考える必要がある。


そもそもユーザはその不便も「そんなもの」だと思い不便だと思っていないかもしれない。あなたにも経験があるだろう。

特に不便だと感じていなかったことでも、新しい製品や技術が出てくると既存のものが不便だと感じてしまう。一度新しいものを使うと、何年使っていたものでも不便に感じてしまう。今さらWindows98WindowsXPを使えば、当時はヘビーなユーザでも現在は不便だと感じてしまうのと同じだ。


ユーザ目線に立って考えるとは、まさにその不便を高い目線から見つけ出すことの出来る人間だからこそ可能なことだ。

ユーザには出来ないからそれよりも高い目線で俯瞰で見てそれに気がつく必要がある。

ユーザ目線に立つとは、それ程に難しいことなのだ。


私も最近では、「貼ってはがせるプリットスティックのり」を見つけたビビってしまった。これはユーザからすれば「糊は貼り付けるもの」と考えているのであるから思いつかないかもしれない。

だが「糊のユーザ」と「付箋紙のユーザ」を俯瞰で観察することで、その二つを同時に見ることが出来、その二つをくっつけるというアイデアが出来るのだ。(もちろんこれは私の勝手な想像だ)


よって、先の社長のような人間がユーザ目線になど立てるわけがない。単にその言葉を使うことがかっこいいと思っているか、そう言うことで、今の知識のままでいる免罪符を手に入れたと思っているのだろう。

そしてもちろん、社長がそのような考えだったのでそのサービスは打ち合わせの度に仕様が変更になり、半年を開発に使ったものの公開されることはなく会社ごと破産した。


もちろん私にはこの破産は想像できた。それは社員目線で居たからではなく、会社の経営目線で見ていたからだ。

○○目線とはこのように上の立場から見るということを勘違いしている人が多いだろう。