ゴミ箱の中のメモ帳

まだ見ぬ息子たちへ綴る手記

動機

私は極度の高所恐怖症だ。

生まれてからというもの背が伸びることさえも怖かった。



背が伸びることが怖くて給食の牛乳を飲むこともしなかった。それでも背が伸びることは止まらず、私は恐怖のあまり自殺しようと決めた。

自殺を決めたものの一つ心配なことがある。


「死んだらどこへ行くのか?」


天使に吊れられて天に昇るのはゴメンだ。天に昇るくらいなら死んだほうがマシ。

これでは何のために死ぬのかわからない。


地獄に落ちたい。落ちなければならない。

そう考え地獄に落ちようと思ったが、私は地獄に落ちることの出来る当てはない。鉢植えに群がるダンゴムシを集めて水に沈めたし、ゴキブリを一歩ずつ踏んで歩いたことはある。だがそれだけで地獄に落ちることが出来るだろうか。

地獄に確実に落ちるためには人を殺そう。そして殺した。


一人や二人の殺人だけでは心配だ。寛大な神はお許しになられるかもしれない。こんなご時世、おおよその人はいじめだので一人や二人は間接的に殺している。

念には念を入れてと十人を殺したがこれでもまだ心配だ。手違いで天国に吊れられることは避けなければならない。

地獄に落ちたい。落ちたい。


私はこの一心で人を殺し続けた。人を選ばずそれはもう無差別に殺した。

この行動が間違いだと気づいたのが遅かった。

もしかすると私が殺した中に極悪な連続殺人犯が居たかもしれない。そうすると殺人犯を殺した私は善人になってしまう。


私は怖かった。

無差別殺人を辞め、善人のみを殺そうと決めた。勲章受賞者、慈善団体代表、聖人。とにかく善人を選んで殺すことにした。

無差別に殺した人間と同じ数を殺さなければならない。それでも心配だ。足りない、二倍の数を殺そう。

そう決めたら行動は早かった。既に人は殺し慣れており、人を殺すことに躊躇も罪の意識も感じない。これは私が地獄に落ちるための聖なる犠牲だ。聖人諸君よ、天に昇りたまえ。


これで見事に大量殺人犯だ。


善人とは案外少ないもので探すのには非常に時間がかかる。日本中あちこち探してもなかなか見つからない。

刑務所には犯罪人がたくさんいるのに善人とはこれほど少ないものなのか。

これには思った以上に時間がかかり、その間にも私の身長は伸び続けている。地獄に落ちることを考えると浮足立ったが、それはこの後の急降下のための微々たる上昇だ。


そして62人の善人をついに殺し終えることが出来た。これだけ殺せばきっと地獄へ落ちることが出来る。


私が94人めの被害者だ。


人を殺すのは既に手慣れたものだ。私は私を殺すのだ。地獄へ落ちるために。

死にたい人間を殺すことなどたやすい。ましてや自分自身だ。大袈裟に暴れることも、大袈裟に悲鳴を上げることもない。


「さぁ私よ、死んで下さい」


私は研ぎ慣れた包丁をいつもより丁寧に研ぎ上げた。後はいつものように髪を引っ張りあげ喉を掻き切るだけだ。

自らの髪を引っ張り上げることは難しく、仕方なく自らアゴを上げることにした。さらには包丁を逆手に握るのは慣れていない。どうももたついてしまう。

自分を殺すことがこんなに難しいことだとは考えもしなかった。


だがそのもたついた時間のおかげで一つ気がついた。


「私は私を殺してはいけない」


私は殺人犯を殺してしまった事を恐れて善人のみを殺すこととしたのだ。殺人犯を殺すことが善行になるのではないかと考えたからだ。

私は連続殺人犯だ。生半可な数ではない。生半可な質の人間を殺していない。

そんな私を殺した奴は英雄だ。勲章物だろう。

私はそんな下劣な者になるわけにはいかない。私は善人を殺した殺人犯たるまま死ななければならないのだ。

私を殺してくれる人を私は知らない。英雄になりたい人を知らない。



そこで名案が思いついた。冷静に考えれば意外と思いつくものだ。


「死刑になればいい」


この国の善とされている国家権力の裁きとして殺されればそれは正義の鉄槌だ。その鉄槌に打たれ殺されるものは悪に決まっている。


「自首しよう」


もう一人を殺している最中に警察に捕まえてもらうことも考えたが、ここまで私を捕まえられていない無能な警察に探してもらえる当てはない。そして何よりもう一人の善人を探すのは時間がかかりすぎる。

私は既に日本中の善人を殺し終えてしまったのかもしれない。


そう考えると行動は速い。丁寧に磨き上げたこの包丁を片手に自首に向かった。

警察に向かう最中に捕まえてもらえれば万々歳だ。

だがそこはやはりというべきか警察署に向かう最中に私を捕まえるものはなかった。


そんな私は今私を死刑にしてもらうべく裁判の最中です。私は93人の人を殺しました。

死刑にして下さい。しなければなりません。


以上です。




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昨日に書いた「私が書いている文章」の中で、

私のように自分の考えではなく、フィクションのように作文することは難しいかと思うが考えであれば単純だ。私は今までフィクションを書いたことはない。挑戦してみようかな。

と書いたので、思った時が吉日と思い書いてみた。


フィクションを書いたのは初めてなので設定なんかも作らずに単に思いつくままに書いたので話にまとまりがない。スタートとゴールはすぐに思いついたのでそのまま書き始めて成り行き任せに書き終えた。ベースになる高所恐怖症という設定は鳥居みゆきの「ある少女の死」を参考にしているが、それ以外の部分は全てオリジナルだ。

人間書こうと思えば書けるものということがこれでわかった。ただ、しばらくはフィクションを書きたいと思わないし書くこともないだろう。

もし次に書くとすればちゃんと設定を考えたほうがいい。設定を考えていないので、この当人が男か女か、年齢設定すらもない。だから文章の語尾がばらばらだ。若い女だったら口語にしやすいが、書きなおすのが面倒だったのでしなかった。

これは私が思いつくままに紙に書き、それを一度読みなおして話の矛盾を直し、それをブログ記事にするために書き写す最中に考えなおしたのがままになる。それ以外に編集は入れていない。

わかるかと思うが自首からあとは展開が速い。正直しんどくなってしまった。1時間位かかったかもしれない。


こういうのを書くと作家の大変さがわかる。語尾一つにとってもめちゃめちゃ考えてしまう。