ゴミ箱の中のメモ帳

まだ見ぬ息子たちへ綴る手記

手帳の使い方

本屋の雑誌コーナーに行くと驚愕した。「手帳の選び方」や「手帳の使い方」という誰が買うのかと思われる雑誌が数多く出版されていた。

考えてみると「手帳の選び方」というのは、手帳のサンプルが掲載されていて、そのサンプルから自分の用途にあったものを選ぶという使い方は出来るかもしれない。

だがそれは大きめの文房具屋や本屋に行けば実物が見れるので必要ないのではないだろうか。そんな物にお金を払うのはなかなか渋い。これは出版社が自社の経済活動に都合がいいようにピックアップした手帳を自社の経済活動として出版しているカタログにお金を出すのと同じだ。偏見でまみれた物からいいものは選びづらい。

それであれば無料で配られているカタログを集めたほうがよっぽど数多くの製品を確認できるだろう。


そしてそのカタログはまぁ考えることが出来るにしても、「手帳の使い方」とはどんなアホが買うのか。手帳は自分を管理するために自分向けに記録するメモだ。それの使い方は自分で考え、工夫していくべきではないだろうか。使い方を人に指定されて、そのとおりにやっていく人の考へは理解に苦しむ。

そんな雑誌を飼うのであれば、そもそもに使い方が提示されているものを使えばいい。例えばGMOの熊谷社長は有名かと思うが、その熊谷も手帳術の本と、それに基づいた手帳や鞄を販売している。これを買えば手帳選びからその手帳の使い方まで面倒を見てくれている。それには従わずに自分の手帳をどう使うか調べるなど私には到底理解できない。

例えば私は今はジブン手帳を使い始めたが、それまでにはいくつかの手帳を使い、自分にあったものを模索してきた。その中で最終的にはノートに自分で線をひき、自分の使いやすいものを作った。結局はそれよりも自分にマッチしたというジブン手帳を現在は使い始めたが、これも使いづらければこれを参考にした手帳を来年は作るだろう。


手帳は自分の行動を管理し、自分の未来を決めるものだ。それには自分で自分にあったものを使わなければならない。

手帳に合わせて使い方を決めるのではなく、自分の使い方に合わせて手帳を選ぶべきではないだろうか。