ゴミ箱の中のメモ帳

まだ見ぬ息子たちへ綴る手記

道は開ける 新装版 デール カーネギー(著), 香山 晶(著)

先に読んだ「人を動かす」で感銘したため本書も続けて読んだ。前書が「人を自ら能動的に動きたくなるようにする法」が書かれているとすれば、本書は「自らが能動的に動きたくなる法」が書かれている。

「道は開ける」と聞くと、絶望的な状況であっても「勝手に道が開いていく」と思われるかも知れないが、本書の原題は「How to Stop Worrying and Start Living」になり、これを直訳すれば「心配を止めた生活を始める」だろうか。そして、内容としてもそのように、タイトルの「道は開ける」というのは、「心配を止め、自分で切り開くことで、道は開ける」ということである。

あくまでもこの「自分で切り開く」と言うことが重要に成り、それが先に書いた「人を自ら能動的に動きたくなるようにする法」である。「心配を止め」とは心配しいても、悩んでいても仕方がない、何の意味のないことを止めれば、と言う意味であり、それを辞めるだけで道は開ける、ということである。

道は開ける 新装版

道は開ける 新装版

新訳 道は開ける (角川文庫)

新訳 道は開ける (角川文庫)


これはたしかにそう思う。私は過去に自分がOCD(強迫性障害)であることを書いた。まさにこの「心配」にとりつかれた人間だ。だがしかし、先から読んでいるいくつかの本でこれも治りそうである。

確かに無意味なことで悩んでも仕方がない。無意味なことで悩むことにより悩みは深くなる。さらにその「悩むこと」が悩みの種に成り悩みの渦に飲み込まれていく。「鬱になりたい病気」にも書いたが、この強迫性障害も鬱と同じように自分の気持の持ちようなのだ。「心配しなーーい」と思えばそれで終わる。一度点検したのなら、それを信用すればそれで終わる。自分自身を信用しないからこそ心配となるのだ。

であれば自分自身を信用しさえすれば良い。これも本書にあるように確率の問題だ。飛行機が怖いという人は「事故に合えば助からない」と言う心配をするようだが、飛行機事故など自動車事故に比べれば些細な確率でしか無い。そもそもに癌での死亡と比べれば誤差とも言える数字になるだろう。

このように無意味なことで悩むということは文字通り無意味なのである。もしその問題で悩む必要があるとすれば、それを思い悩むのではなく、それを解決する方法を考えるべきなのである。思い悩むことは何の成果もうまない。成果を期待するのであれば悩むのではなく解決する方法を考えるべきなのである。



私のこの記事を読んでも「悩むものは悩む」と考える人ももちろんいるだろう。私ももし他の人がこれを書いていたとすれば同じ感想だ。是非とも本書を読んで欲しい。そうすればいかに悩むことが無意味であるかがわかるだろう。

悩むということは自ら道を閉ざすことであり、自ら望んで幸福を捨てるようなものである。だれも悩んでいるときは気持ちがいいものではないはずだ。であればなぜ悩むのか。なぜ不幸せなことを自ら望んでいるのだろうか。



本書を読めば道は開ける。