ゴミ箱の中のメモ帳

まだ見ぬ息子たちへ綴る手記

万年筆インクの耐水性とか耐光性とかどうでも良くない?

たまに万年筆について調べると、万年筆の使い心地よりも多くインクの比較記事が見つかる。

そしてその多くが耐水性と耐光性について書かれた記事になる。それらの記事は「窓に1ヶ月貼りつけ太陽光を浴びせるとこうなる」、「紙を水につけるとインクがこうなる」と言うようなものだ。

それらの記事を目にする度に思うのは「そんなことどうでも良くないかな」ということ。

パイロット 万年筆インキ iroshizuku INK-50-AS アサガオ

パイロット 万年筆インキ iroshizuku INK-50-AS アサガオ


例えば住宅の外壁に使うペンキであればそれらは重要だろう。新築の外壁が1年で風化して色が大幅に変わるというのでは話にならないし、雨でペンキが流れ落ちるのも論外だ。

だが万年筆のインクになぜそんなことを求めるのだろうか。どのような文章が、太陽光直下に数週間も曝露され、水に浸水させることが想定されなければならないのだろうか。申し訳ないが私には想定することが出来ない。



まず簡単に想定できないのは「水に漬け込む」と言うことだろう。水に数秒つけるのであればまだしも、1時間もつけていることなど、ただ単に「万年筆のインクは水に溶ける」と文句を言いたいからやっているようにしか思えない。1時間も紙を水につけていれば、実際問題としてはインクよりも紙のほうが問題になるだろう。

例えば実生活で書類が水に濡れることを想定するのは、雨の日に鞄の中に入れていた書類が濡れるか、机の上で水をこぼす程度だろう。船が沈没して鞄もろとも1時間も漂流する、というようなことは書類などどうでもよくて生命のほうが大事で気にするものではない。

であれば、鞄の中の書類が濡れるのはせいぜい紙の端くらいで全面は濡れることはないし、水をこぼしても数分のうちには拭き取られるだろう。そして、それらは多少インクが薄くなったり流れたりしたとしても問題ない。なぜなら、水で濡れてベロベロになった紙を乾かしてもガサガサな状態になるのでそのまま使い続けることはなく、新しく書きなおすのが当然ではないだろうか。であれば多少薄くなっても問題ないし、多少滲んでも何の影響もない。



次に「太陽光を浴びせる」と言うことになるが、これも1時間や10時間であればまだしも、何週間も太陽光を浴びせ続ける状態というのはどのようなものだろうか。町内会の掲示板のようなところに掲示するのであっても1ヶ月間読めれば問題ないし、それにはひさしが付いているので直射し続けることはない。そしてなにより、そのようなものは万年筆のようなものではなくマッキーの太字のような物で書かなければ見えづらい。これも想定しづらい。

それらの耐光試験の多くは、そのような掲示板のような屋外掲示を対象にしているのではなく、日常生活での使用を問題にしているようだ。それらの記事を読んだことがある人であれば考えて欲しいのだが、それらの曝露試験を行った紙の多くは罫線すらも消えている。インクよりも罫線のほうが先に消えているものが多いのではないだろうか。

そうすると考えて欲しい。学生時代に使っているノートを開いて、その罫線は今は消えているだろうか?否、消えていない。私が学生の時代のノートは15年ほど前のものであるが全く影響すら無い。親父のノートに至っては50年前のものになるが、紙は経年劣化で変色しているもののそれでも罫線は消えていない。もちろん文字は何の影響もない。

日常使用とはこの程度であろう。学生時代など直射日光をあびる窓際の生徒もいる。私もそうだった。そんな状態でノートを開き1年使い続けても、罫線が消えることなどないのだ。そもそもにそのような用途でインクが消えることをメーカーが許容するわけがない。そんなものがあれば誰も使わないだろう。

50年間の一般家庭の保存でもこの通りであれば、一人の生涯の100年など全く問題はないだろう。そもそもに、あなたの書いた文章は100年や200年保存することが前提なのだろうか。そうであればそれを想定して一般紙に書かないほうがいいし、そもそも太陽光を浴びせる状態で保存することなどしないほうが良い。そして、炭素の含まれる鉛筆などで書いたほうが良いだろう。

現在の文化財復元などでも炭素を検出してその筆跡を確認しているので、紙繊維に炭素を絡めたほうが確実に後世に残せる。そしてなにより、そのような文章はデータとして残しておいたほうが確実だ。紙に書いたものをスキャンして幾らかのバックアップをしておけば、あなたが処分しない限りは保存され続ける。



耐水試験、耐光試験と言う記事を見る度にこのようなことを思ってしまう。それらに興味を持って調べるのは良いことだと思うが、必死に「○○のインクは耐光性がない、耐水性がない」と言うのはあほらしい。

万年筆ユーザはなぜか必死になって自分の使っているものを褒め称えるが、もう少し落ち着いて、冷静に考えて欲しい。