ゴミ箱の中のメモ帳

まだ見ぬ息子たちへ綴る手記

日本人におもてなしなんて出来ないだろう

最近は「おもてなし」と言う言葉が流行っているようだ。私は知らなかったのだが、調べてみるとオリンピック総会にて滝川クリステルが発言したので有名に成り、そしてそのまま流行語対象にもなったようだ。

Wikipediaにて「おもてなし」というそのまんまの項目が、そのまんまの内容で書かれている。

おもてなしとはそのまま「持て成し」の丁寧語で、大辞林によると「客に対する扱い。待遇。」となるようだ。この意味なので「丁寧な持て成し」と「ぞんざいな持て成し」と言う意味をもてるが、およそ滝川クリステルが言うところの「おもてなし」は前者のことであろう。

だが今の日本人ならそんなことは出来ないだろう。そもそもに、そのもてなしの心というのは自分の心の持ちようや行動で現れるものであり「もてなしてあげるよ」という相手に押し付けるものではなく、そもそも見返りを求めるものではなく、従業員に言うのであればまだしも、それを客人に言うようなものではない。

なので、「日本にはおもてなしがある」とは客が感想としていうのであればまだしも、招く側が行った時点でそれは「おもてなし」ではなく単なる接客、それもオリンピックを誘致するためという営利目的の接客でしか無い。

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よろこばれる おもてなし上手の料理とスタイリング

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こんな単純なことにも気づいていない日本人が多いのではないだろうか。だからここまでこの発言がもてはやされたのだろう。

そもそも現在の日本人にはおもてなしなんて出来ない。「マニュアル人間はダメだ」と言うのを耳にするが、現在の日本人の大半がマニュアル人間だ。「マニュアル人間はダメだ」という考え自体も、そのマニュアル人間の発想なのだ。先の「成毛眞のスティーブ・ジョブズ超解釈」でも書いたが、「日本人は常識に縛られている」、「独創性がない」というのも、常識に縛られ、独創性のない人間の言葉でしか無い。

それほどに日本人にはもうマニュアルと常識が植えこまれ、それ無しでは行動できない。「「日本」を捨てよ」にもこうある。

P24.
ところが、大震災に襲われた被災地では、巨大なショッピングモール内で商品が放置されているすぐそばで、被災者たちがお腹を空かせながら救援物資を待つという、馬鹿げた状況がいたるところで見られたのです。

P23.
悪質な略奪が横行しなかったのは、たしかに幸いでした。しかし、命よりも財産権が優先されるのはさすがに行き過ぎと言わざるをえません。

「盗みがいけない」というマニュアルが刷り込まれているため、自分が死ぬかも知れなくても、周りの人間が空腹で苦しんでいたとしても、自分で「盗み」を行うことは出来ない。他人の財産権を犯すことは出来ないのだ。いや、これは財産権を犯すものでもない。法律で認められている行為であるにも関わらず、「菊と刀」で言うところの「恥の文化」としてその恥をかくわけには行かないのだ。

だからこそ一人目が行い、「あいつがやっていたから」と責任を押し付けられる状態になればそれに加担することは出来る。加担しなくても、他人が盗んできたものであれば「知らなかったと言い逃れが出来る状態にした上」で口にする。こんな馬鹿げた思考が日本人なのだ。反原発活動にしてもどのような活動にしても、日本人は一人では行動をしない。とにかく人数を集め、自分が隠れられる状態になって行動する。自分の意志などはなく、それは大勢を持って意志になりえるのだ。



そんなマニュアル人間のおもてなしとは、所詮そのマニュアルに則ったものだけだ。

以前こんな話を聞いたことがある。

ある外国人が日本に旅行に来たという。その日本で宿泊予定の旅館は有名で高級な旅館である。その外国人は少し早めに宿についたので、従業員を探して部屋に入れないか聞いたが断られたという。部屋の準備ができていないのなら、あとどれくらいで部屋の準備が出来るのか確認しようと思い質問してみると、部屋の清掃は終わっているようだ。清掃も備品の準備も全て終わり、あとは時間になれば入れるという。

ではなぜ部屋に入ることが出来ないのかと質問すると、「時間になっていないからだ」との一点張りであった。この人は色々な国に旅行しているが、このように準備が終わっていれば、他の国のホテルはどこも入れてくれるという。高級ホテルだけではなく、一般向けのホテルも同じように対応してくれる。

これが日本人のマニュアル思考だ。とにかくマニュアルに従う。マニュアルが自分の行動を制限し、もしわからないところがあれば自分を制限すべくマニュアルを調べ自分の行動を制限してもらう。マニュアルが無い仕事であれば、一々上司にどうすればよいか確認する。自分で考えて行動するということが出来ず、そもそもその「自分で考え行動する」という考えがないのだ。とにかく自分がどう動けばいいか指示を仰ぐくことしか出来ない。

このどこにおもてなしがあるのだろうか。指定時間になって改めて案内されたとしても、その案内におもてなしなど無い。たんなるマニュアル通りの接客だ。旅館だろうが飲食店だろうが商店だろうがもうこの国はマニュアルだらけだ。マニュアル通りに接客され、客もマニュアル通りに行動する。

日本人が外人に向かって「和を乱す」、「ルールを守らない」、「常識が通用しない」と言うのも良く耳にするが、これこそが自分以外に「マニュアル通りに行動してくれる事を期待している」からそう思うのであろう。人が自由に行動することが許せない人間たちなのだ。


また、先の「恥の文化」とも合わさってこのマニュアル人間の国は酷い。とにかく恥をかきたくないのだ。

私は今長崎に住んでいるので観光客をよく目にする。良くというか、少し外に出れば目にしない場面はない。図書館に向かう20分程度の時間の間だけでも数十人という観光客を目にする。

そしてその観光客は写真を撮っていたり、地図片手に次の目的地を探している。そしてもちろん道に迷っている人要る。これもよく見る。

だが、その外国人観光客が声をかけているのに多くの人が無視して通り過ぎる。私が今までに目にした中では、声をかけられて止まった人間を見たことはない。なぜ声をかけられているのに止まらないのか、なぜ無視をするのか。

話を聞いてみて、何を言っているのかがわからず、どうしたいのかも全くわからなかったのであれば日本人的に謝って退散すれば良い。だが話を聞くこともせず、いや、話を聞こうともせず、立ち止まろうともしないというのはどのような理由からだ。どこにおもてなしの心がある日本人がいるのだろうか。

なのでわたしは仕方なく自分から声をかけるか、声をかけられるまで無駄にその道を何往復かしたりする。もちろん私は英語は全くわからないが、それでも今までに困ったことはなかい。日本に観光に来て困っている外国人は、大体2パターンしか無い。道に迷っているか、時間がわからないかだ。道に迷っているのであれば目的地を聞き道を説明すれば良い。大抵の外人は地図を持っているので、今の場所と目的地を指さし、道をなぞってやればそれでわかる。その間も私は英語がわからないので終始日本語だ。

例えばつい先日も、中央橋で外人メンが声をかけてきた。何を言っているのかわからなかったが、地図を広げ「マツガエターミナル」と言い出した。マツガエターミナルが何かもわからなかったが、地図を広げ目的地らしき場所を指さすと新しく出来た船着場のことのようだ。そこに行きたいということなのだろうで、今要る場所を指出して「ヒアーヒアー」とカタカナ丸出しで教え、まっすぐ行って左と日本語で言いながら手でジェスチャーをしてあげた。まっすぐ行く方向を指差し、そして「シーが出たら左レフト」と言ったらわかったようで「サンキュー」と言って走っていった。誰も道を教えてくれず、かなり時間が迫っていたのだろう。

写真を取るときなど、もっと簡単だ。観光客が自撮りしていたら、日本人だろうと外人だろうとよく声をかける。日本人なら「撮りましょうか?」と言えばもちろんわかるし、外人でもジェスチャーを交えながら「テイクアフォト」といえばわかってもらえる。今調べると真逆な意味のようだが、今までこれで特に困ったことはないし、中国人とわからず「撮りましょうか?」と声をかけた時でも通じた。言語なんてなんとなくの雰囲気と身振り手振りでだいたい伝わるものだ。

自分が外国に言って道を聞く場面を想像して欲しい。相手に日本語がわかることを期待して話しかけるだろうか。そんな奴はいないだろう。自分がその国の言語がわからなくても、道がわからなければ地図を片手に目的地を指出すか、目的地の名前を言うだろう。バスの時間がわからなかったら、タイムタイムと言いながら目的地を言えばわかってもらえる。時間を教えてもらってもそれが何を言っているかわからない時もある。英語ならまだしもドイツ語で時間を言われてもわ変わらないだろう。であれば、数字を書いてもらうように頼むか、それもわからなければ時計の絵を書き、針を書き込んでもらうように誘えばそれで何とかなる。

相手があなたに声をかけ期待しているのも同じことだ。あなたに自国語で流暢に問題を解決してもらうことなど期待していない。行き方やバスが来る時間を教えてもらえればそれで良いのだ。だが「恥をかきたくない」という気持ち一心で逃げ出してしまう。



と、私の偉業を伝えたいのではなく、こんなこともしない、出来ない人間ばかりだ。何がおもてなしの国だ、おもてなしの民族だ。ばからしい。確かに昔はそうであったのかも知れないが、今の日本にそんなものはないし、そんなものを求めている人間もいない。マニュアル通りの対応をし、それを求めている人間の国がこの日本だ。

「おもてなしの国」と言っている時点で、奥ゆかしき日本の姿ももう無いだろう。



おつかれニッポン。