ゴミ箱の中のメモ帳

まだ見ぬ息子たちへ綴る手記

ご冗談でしょう、ファインマンさん〈上〉 リチャード P. ファインマン(著), 大貫 昌子(翻訳)

ファインマンの書籍で最も有名なものになるだろうか。ファインマンという天才とされている人間の発想というものがわかる。

世間では「○○発想法」という書籍で溢れているがそんな物嘘っぱちだ。発想とは真似るものではなくて自分から生み出されるものだ。誰かの発想法を真似たところでそれは「発想」にはならない。単にその方法を使って考えようとしているだけだ。

そんなわけのわからない書籍を読むのではなく、是非とも本書を読んで欲しい。そうすればいわゆる天才の「発想」と言うものを知ることが出来る。例えば数学が得意であったとしても、目の前をフリスビーが飛んでる場面に出くわした時に「なぜそれが飛び、安定しているか」ということを数学を用いて計算するだろうか。ファインマンはそれをする。

そしてそのように物事を考えるからこそ新しい発想をすることができ、それが天才たる発見につながる。「天才」というのも私が嫌いな言葉であるがここではそれは関係ないのでまた別の記事にしよう。

ご冗談でしょう、ファインマンさん〈上〉 (岩波現代文庫)

ご冗談でしょう、ファインマンさん〈上〉 (岩波現代文庫)


本書はファインマンが幼少期からどのように生きてきたからその結果が残せたかというのも理解できるだろう。現在であれば、ファインマンのような人間が出来る土台がない。もしファインマンのような子どもがいたとすれば落ち着きがないだの、危ないだの、キチガイだのと噂し、「ADHD」や「ADD」というような障害者というレッテルを貼り付け、それを薬や強制で押さえつけようとするだろう。

だが本書を読めばわかるようにそれを突き詰めるから発想というものは生まれるのだ。先に「日本人におもてなしなんて出来ないだろう」をかいたが、それと同じように日本人は「型にはまった人間」を求めるためにそのような発想が出来る人間をそもそもに求めていないのだ。

だからこそそのような人材は海外にドンドンと行ってしまう。例えば最近のSTAP細胞にしても、それを理解すら出来ない人間が批判する。中傷し攻撃する。「出る杭は打たれる」というのをドンドンと拡大していっている。

是非とも本書を読みいわゆる天才と呼ばれる人たちの行動を知り、その発想を知ってほしい。



本書は短編の話をいくつもまとめている書籍になるので、ちょっとした合間合間にも読むことが出来るようになっている。本書はファインマン物理学のような「勉強」をする書籍ではなく、単なるファインマンという人間について書かれた読み物になる。

上下巻と少々長い本になるが、その面白さからドンドンと読み進めることが出来るだろう。