ゴミ箱の中のメモ帳

まだ見ぬ息子たちへ綴る手記

メーカー名を入れないでくれ

世の中の製品にはほとんどすべての商品にデカデカとメーカー名やロゴが印刷、刻印、刺繍されている。なぜか。

フェンディやシャネルなどはこれの格好の例だろう。自身の社名がそれ自体が優れたデザインで、優れたステータスであるように大きく印刷されている。

メーカーのそれ自体が非常に優れたデザインで機能的なものであればそれも致し方ないことかと思うが、大抵はそんなことはない。SONYAppleのロゴのどこにも機能的な部分は無い。

唯一機能的なデザインロゴとすればアディダスだろうか。三本ラインのおかげで生地が補強されている。

 

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そもそもメーカー名を大きく入れるということは、それをみにつけている人はメーカーの宣伝をしていることにつながる。それであればそのCM料分安くして欲しい。スポーツ選手にはユニフォームにロゴを入れてもらう代わりに巨額のスポンサー料を払っているのだから、一般人にもそれをすべきだろう。なんてたって宣伝をしてもらっているのだから。

だが実際は真逆だ。そのロゴを付けることによりデザイン料やそもそもの材料原価、加工料金などが値段に加算されている。不必要なロゴのために対価を払っているのだ。

OEMはその好例だろう。他企業の商品を購入し、それに自社のロゴやタグを付けるだけで値段を何倍にしても売る。服飾業界ではこれはスタンダードな手法だ。1000円のポロシャツも1万円のポロシャツも同じものが多い。

なぜそのロゴがあることに高額な費用を払わなければならないのか。シャネルやフェンディを身につけていることでステータスを感じるブランド思考の人間であればまだしも、少なくとも私はそれを求めていない。

もしロゴ無しが多少高額であってもそれを購入したいくらいに社名が邪魔だと思っている。例えばApple製品はあのロゴがなければ買っても良い。Appleはどれだけ自分のロゴとそのブランドが素晴らしいと思っているのだろうか。

 

私は現在にアンダーアーマーUAストームAFを着ているが、背中にデカデカとロゴがある。これが鬱陶しくて仕方がない。このロゴがあることで機能的であればよいが、ロゴが刺繍であるのでその部位の生地の柔軟性がなくなっている。ロゴがあることで製品の邪魔をしているのだ。製品を劣化させているのだ。

これはロゴがない製品があれば高くても買うという見本にもなるだろう。ロゴがない製品のほうが良い製品になる。


確かにそのロゴがかっこいいと思っているブランド志向が多くいることは確かだろう。なんてったって直営店がこれだけ流行っている昨今は多くの人間がそのメーカを名指しで買いに行っているのだ。

だがそのロゴが本当にかっこ良いのか。例えばフェンディにしてもシャネルにしても創業者の名前だ。これは松下電器船井電機と同じだ。あなたは背中に松下や船井とデカデカと書かれた服を着たいだろうか。だが現地の人たちからすればあなたはそれと同じ事をしているのだ。

日本以外の国の人はそれに対して抵抗がないのだが、何故か日本人だけは自国の言葉が格好悪く、他国の言葉、特にアルファベットが格好いいと思っている。とにかくアルファベットが書かれているものを買い、それを使いたがる。


そんなに英語が格好いいと思うのであれば話者になれば良いのにそうはならない。なんてったってそれが理解できないからそれに魅力を感じているのだ。

英語を理解していれば世間の人間が着ているような英語の書かれた服は着ないだろう。なぜならその英語の意味がわかればそれを着ようと思わないものばかりだ。

ニューヨークヤンキースの帽子をかぶっている人はよく見たが、タイガースや巨人の帽子を街なかでかぶっている人はほとんど見ないだろう。

つまりそういうことなのだ。