ゴミ箱の中のメモ帳

まだ見ぬ息子たちへ綴る手記

科学者がUFOを否定しない理由

私は今までに科学や宗教の話をする時には度々カール・ポパー反証可能性を例に使ってきた。これほど単純明快でわかりやすく、力強い判別式は他に知らないからだ。

だがこの例えを出すと、それを逆に使い、UFOや宇宙人、妖精やUMAを反証しろと迫ってくる人間がいる。

たしかに反証可能性を考えると、UFOやUMAなどの写真を出されれば、それを否定するにはそれを反証する必要が出る。だがTV番組のように多額の予算がある場合や、エンターテイメントとして以外には科学者はそれらについて否定することはしない。

それらを信じる方々からすればそれは非常に都合がよく、「科学者も否定できないのだから実在する」と言う宣伝文句を持ち出したりもする。

だがそれは大きな間違いだ。科学者は否定できないのではなく、否定、批判しない、反証したくないのだ。

 

捏造の科学者 STAP細胞事件

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若き科学者への手紙:情熱こそ成功の鍵

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理由は単純だ。科学者はそんなに暇ではないし、暇があったとすればそんなどうでも良いことには時間を使いたくない。自分の興味のある実験や研究、証明に使いたいのだ。これは万人に共通する考えだろう。

反証というのは、それらを主張する人間のように写真や目撃情報だけを出して「ほら、居るだろう」とするのではなく、例えば写真にしても、それが誤りであること、合成であること、加工であることを「証明」しなくてはいけない。

実在すると考えている人間のように根拠のない主張をすればいいのではなく、それらを証明するというのには時間もコストも必要なのだ。誰が興味もないことにそんなものをかけて反証しようと思うだろうか。だからこそ相手にしようともしないのだ。

確かに大槻教授のように暇そうな人間も居るのも確かだ。門外漢で知識がないのにも関わらず多種多様なことを批判する。大槻教授は私がテレビを見ていただけでも数々の誤りを発言している。そういった人間がいるから誤った考えが広まるのであろうとも思う。

大槻教授もそうであるように、TV番組のように予算がある状態に有り、報酬が期待出来、その報酬で今後の自分の研究が進むというような場合には引き受けることもあるだろう。

そんな科学者も世間で大きく騒がれるようなものには興味を示すことがある。興味を持てばそれを徹底的に調べ、証明なり、反証なりするのが科学者の性というものであるので、そういった場合には自らがすすんでそれを調査するだろう。

そもそも科学者というものは非常に物事を柔軟に考えているものなので、ネッシーがいれば嬉しいし、UFOが飛んできているのであればとっ捕まえて技術を調べようとするほどの器量はあるのだ。

科学というものは「反証可能性」からも日々変化している。昨日まで自分が信じていたことも、今日反証されれば考えを変えなければならないという職業なのだ。それ程に物事を柔軟に考えるし、変化を受け入れ、事実を求めるという人々だ。

先に戻ると「反証されていないからUFOがいる」とするのは大きな間違いだ。主張する側はそれを「証明」する必要がある。「写真があるから、目撃者がいるから実在する」というのではなく、その写真に間違いはなく、多数の目撃情報からもそれが正しいと証明する「立証責任」というものがある。

立証されていない単なる主張は反証するまでもない、信憑性もない、単なる個人の主張でしか無い。

よって、そんな意味のないものをいくら出されたところで、科学者は反証する気にはならない。

そして何より、そういったものは一つを反証したところで次々と別の写真や別の目撃情報を取り出して断固としてそれを主張し続けるのだ。であれば一つを反証する気にもならないし、それを反証したところで何の意味もないことはわかるだろう。

それらの人の信じているものは反証不可能なものであるので、いくらそれを反証したところで意味がないということもわかるだろう。

霊感でもオーラでも何でもいいが、それを主張するのであればそれが存在することを立証してから反証に挑んでほしい。