ゴミ箱の中のメモ帳

まだ見ぬ息子たちへ綴る手記

なぜ偏った思考をする人間は学問を偏って信仰するのか

前に書いた「科学者がUFOを否定しない理由」や、「なぜそれは起こるのか」でUFOや余剰次元シンクロニシティについて書くとどうもいろいろな人に絡まれる。

前々から原発なんかについて書くと色々絡まれることが多いと感じていたが、それらについて思うのは「偏った発想は、学問を偏って信仰することから起こっている」ということ。学問とは、それが本当の学問ではなく、疑似科学や、宗教で有ることが多い。

先の原発問題にしても、そもそもの原子力を理解していない人間ばかりで有ることは書いた。原子核物理学以前に、そのベースの義務教育の物理学すらも理解できていない。これは「ちょっとアホすぎやしませんか」にも書いたとおり、このブログ上に置いてだけでも実感出来る。

なぜ自分が理解できないものをそこまで批判できるのか。理解できないのであれば、それを理解できるように学ぶのが本来であろうが、なぜそれをせずに理解しないまま批判できるのか。そんな努力をしない人間の意見など何故聞かなければならないのか。

そんな努力もせず、知識も持たない人間の批判など、端から見当違いであるという事が理解できないのだろうか。

自然現象と心の構造―非因果的連関の原理

自然現象と心の構造―非因果的連関の原理

 

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例えば原発問題以外にも、先の記事のUFOや宇宙人、シンクロニシティ(共時性)、形態形成場のどれをとっても、それがあると信じている人は原子力と同じようにそれを理解していない人たちだ。

先の「科学者がUFOを否定しない理由」にも簡単には書いたが、科学者の多くはUFOや宇宙人を信じている。信じているからこそそれを探しだそうと宇宙の果てまで熱心に探す努力をしている。国や企業もそのために多額の予算を出しているのだ。

だがそれがまだ「生物の発見」にまでは至っていないために「まだ見つかっていない」とされている。

だがそれらを信仰している人は、「宇宙人はいる」、「UFOは地球を監視している」と言う訳のわからない理論を展開する。それを主張するのにその実証責任はなんら負おうとしない。これも先の記事に書いたように、ひとつの主張を反証しても、その考えを引っ込めるわけではなく次々と別の情報を使って主張を続けるだけだ。

科学者は宇宙人がいると信じているから探しているのに、それを信仰している人は「宇宙人を探すのではなく、あれが宇宙人だ」と決め付ける。科学者は何も宇宙人を否定しておらず、そういった人が主張する馬鹿な宇宙人像を否定しているだけなのに科学者を敵とする。

それも例えば、UFOの飛行方法がある特定の科学ではそれが反証されたとしても、「現在の航空力学に反する飛行」をしているから「未知なる技術を手に入れた宇宙船だ」と主張する。なぜ一つの科学的学問を否定しているのに、別の学問をベースとしてそれを主張するのか。


例えばシンクロニシティや形態形成場でこれを考えると非常にわかりやすい。

シンクロニシティや形態形成場仮説を信仰する人間の多くはなぜか統計学を利用する。「統計学的にこれは偶然ではない」と言う説明の仕方だ。

それは行動科学や脳機能学で説明できる分野であるとしても、それを信用せず、「統計学的に偶然ではない。シンクロニシティは存在する。」とするのだ。

それが他の学問で偶然ではないことは説明でき、更にはそれが再現できるのにも関わらずそれを信用しようとはしない。そいつらの主張するシンクロニシティは再現できず、そいつらの言うシンクロニシティは結果をそれに結びつけた結果でしか無いのだ。

そしてそいつらは行動科学や脳機能学を否定するのに、なぜか統計学だけは信用する。統計学だけがそいつらが信じるシンクロニシティを裏付けてくれるからこそそれだけを信じるのだ。偏った学問は学問ではない。単なるそれの信仰でしか無い。

信仰であるのでそれは反証不可能であり、科学ではなく宗教となってしまっている。

これによって、偏った思考は偏った学問の利用から生み出されるのだ。いや、偏った学問を信仰しなければそれを信じることができないためにそうするのであろう。

 

現在も誤って使われる有名な話しとしては、「エスパーの証明」があるだろうか。

現在では使われなくなったが、透視やテレパス、予知、サイコキネシス超心理学(以下エスパー)などの確認、証明手段としてゼナーカード(ESPカード)が使われていた。

トランプのようなカードにいくつかの模様が書かれていて、カードを伏せた状態でそれがなにか当てるという光景は映画やドラマなどで見たことがあるだろう。そのあれだ。

そして、そのカードで実験したエスパーは統計学的に偶然以上の成果を上げていたという話だ。どうも平均的な正答率を毎回超える、統計的偶然を大きく超える結果が出るエスパーや、そもそもに全てを当てることが出来る人間、カードが出される前からどのカードが出されるかという「予知、予言」が出来る人間がいたというものになる。

だがどれも人為的な操作が入っていたものになるため、後にその結果は否定され、その当時に好成績であった人間も人的要因を排除したあとの試験では統計値にマッチした結果となっている。そして現在では人為的な要因が一切入らないようにコンピュータの乱数や、自然的ランダム性が担保されたコンピュータ操作にてその試験が行われている。もちろんその結果では一切が統計的な結果になり、エスパーは未だに発見されていない。

このように、その後にきちんと実験して否定されているものであっても、それを信仰する人達は自分の都合のいいものだけを参照し、自分に都合が悪いものは見はしない。いや、それが無いものとして扱う。

こんな奴らをどうして信じることができよう。

そもそもに、シンクロニシティ共時性という理論の生みの親であるカールユングが自著である「自然現象と心の構造」の中でこのESPカードの実験を否定している。

そうであるのになぜ、その共時性を信じる人間はその発想者が否定している内容を無視してそれを擁護するのか。これはそのシンクロニシティという考えすら理解していない人間がそれを信仰しているというものであろう。言うなれば経典を読まずに進行している宗教と同じものだ。

もしかすると人づてで話を聞いてこれを信じてしまったのかもしれないが、それが疑わしいとちょっとでも思ったのであれば自分で調べることが出来たはずだ。だがそれをせずに人に話すような奴などそもそも信じるにも値しない。単なる風評家だ。

 

UFOにしろ宇宙人にしろ共時性にしろ、どのようなものであってもそれを熱狂的に信じている人というのはこのように偏って何かを信仰した結果だろう。学問というのはどのようなものであっても他の学問とつながりがあるので、「一つだけが真実で他は間違いである」という事はあり得ない。

もしあなたがエスパーを信じそれを証明できると言うのであれば、是非ともそれを実際に見せて欲しい。現在でも世界中でそれについて賞金を出す試験はある。例えば実際にゼナーカードを使った実験で成功すれば1億円の賞金が出るものもある。これなら一度試験を受けるだけでよくお手軽だ。

「金が目当てではない」という綺麗事を言うにしても、あなたがそれを実証出来るだけで、世界中でそれを信仰する多くの人たちが大手を振って街を歩けるようになる。あなたはそれを拒む理由はないだろう。

是非あなたのその能力を将来の科学に役立てて欲しい。

それが証明されればそれは未知なるものではなく科学になり得るのだ。

 

偏った学問というのは結局的には宗教だ。是非とも考えなおして欲しい。