ゴミ箱の中のメモ帳

まだ見ぬ息子たちへ綴る手記

「詳しい」ってのはだいたい知ったかぶりとか思い込みじゃないかな

たまに文房具の記事を書くので私を文房具好きと勘違いしている人が居るかも知れない。

たしかに文房具はよく買うし、よく見に行くが、そんじょそこらのアホみたいな文房具好きと一緒にはしてほしくない。

世間の文房具好きという人たちは単に文房具をアホみたいに買って悦に入っているようだが、私は文房具をそんな買い方はしない。たしかに消耗品はアホみたいに買っているが、それは使うからであって使わないものを買ったりはしない。

ハサミも一つしか持っていないし、カッターナイフも、ステープラも一つづしかもっていない。世間の文房具好きというのは使いもしない文房具を多量に持っている人たちではないだろうか。ハサミなんていくつも持っていても仕方がないのは当事者で無くてもわかるだろう。

文房具屋さん大賞2015 (扶桑社ムック)

文房具屋さん大賞2015 (扶桑社ムック)

 
文房具の便利帖 (晋遊舎ムック)

文房具の便利帖 (晋遊舎ムック)

 

====
そんななかで私はよく鉛筆を使う。

机の上の鉛筆立てには鉛筆と万年筆が刺さっているが、よく使うのは鉛筆だろうか。万年筆はキャップを取るのが面倒だし、インクを補充するのも長文を書く時以外は面倒臭い。それとは違い鉛筆は掛ける量などほとんど気にしなくてもいいし、キャップを開ける必要も、メンテナンスも必要ない。書きたい時に掛ける筆記具の代表格だろう。サッと取り出して使うのには鉛筆が使いやすい。

だがまぁ使うに従って短くなっていくのがやはり欠点だろうか。だから芯ホルダーを使い始めたが、どうもやはり鉛筆を使ってしまう。鉛筆は素晴らしい。

そんななかでたまに鉛筆の話を聞かれたり、鉛筆について書かれた記事を読んだりもする。

 

そこで思うのは、「鉛筆好き」とか、「鉛筆が万能の筆記具だ」とか、「鉛筆の粒子がどうのこうの」とか言っている阿呆な人たちは、ほぼ知ったかぶりをしているのではないだろうか。

どうもよく見るのは「Hi-uniが至高」と言う投稿だ。価格では国内の鉛筆の中では高額な部類に入るのは確かだ。だが書き味は本当に最も優れているのだろうか。

もちろんそんなことがわかるわけがない。私も確かに10Bの鉛筆のみHi-uniを利用しているが、それはHi-uni以外では10Bの鉛筆が見つからないであり、10Bの鉛筆を使っているのは太い線を書きたいからになる。書き味は好きではないので、他の2Bの鉛筆はHi-uniを利用していない。

そしてそんな馬鹿なことを言っている人の常套句が「Hi-uniは粒子の大きさが均一で滑らかに書ける」と言うものに成る。

だがそんな人たちに質問したいのは「粒子の大きさが均一とは、顕微鏡やらでその粒子を観察したのか」と言うもの。自分で確認してもいないのに、誰から聞いたのか粒子がどうのこうのと言いたがる。そもそもでは、「粒子が均一であればなぜ滑らかなのか」ということ。きちんと説明できるのだろうか。

 

そしてこの「Hi-uniは粒子が均一」というのはどこの誰が言い出したのかわからないが本当によく見る。

だが三菱鉛筆のサイトを確認するとそんなことは書いていない。いや、真逆の説明が書いてある。

[image:id=357]

「大小の粒子を混合し、なめらかな書き味を追及した鉛筆です。」

均一ではないようだ。私は自ら粒子を観察していないし、そもそも手にとって書いただけで「粒子が均一だな」と感じることができるほど繊細な指先をしていないが、三菱鉛筆の説明を読む限りではそれが間違いであることは明らかだ。粒子が均一とされているのは一つ格下の「uni」鉛筆になる。

それらの自称「詳しい」としている人は、Webサイトに掲載されている公式の説明を読まず、なぜ聞きかじった意見を人にドンドンと伝えていこうとするのだろうか。

これが記事のタイトルにもした「詳しいと思い込んでる人は結局人から聞いたことを信じこんで布教しているだけ」というものになる。まぁそんなことをするのは詳しいどころかたんにオウム返しを繰り返している阿呆だろう。詳しいと言われてうれしいからこそ聞かれていないこともペラペラと喋りたがる人でしか無いのではないだろうか。

ちなみに関係ないが書いておくと、私は鉛筆は三菱鉛筆ユニスターか9800、トンボの8900を使っている。ユニは滑らかすぎて逆に書きづらい。サラサラと書いている感覚があるのが良いので、この3種類の鉛筆のどれかな良いという感じだ。今の鉛筆立てにも9800と8900が一緒に刺さっている。

 

一応書いておくが、私は別に鉛筆に詳しいわけでも、筆記具に詳しいわけでもないし、そもそも詳しくなりたいとも思わない。単に筆記具を使う人でしか無い。

だから先に書いたトンボの8900と三菱の9800のどちらが先に出たものかも知らないし、命名が海外メーカからパクった方法であろうとどうでもいい。自分が使いやすいものがあればそれを使うだけだ。

カレーで例えれば、カレーの元祖を気にしてどうかなるだろうか。日本のカレーはインドのものとは全く違い、日本人向けにアレンジされた日本食としてのカレーだ。その本家がインドにあろうと、インドのカレーが絶品なわけではないし、そもそもそれが絶品であったとしても十人十色味覚が違う。好みもわかれるのだから「どれが一番」と決めることなどに何も意味はない。

そもそも「本場」ということになど何の意味もなく、それよりもローカライズされた地元に合わせたものが過半数に好かれるのは道理だろう。ローカライズとはそもそもそれが目的なのだから、鉛筆にしても日本人の使い方に合わせたものが日本人には会うだろう。

若い頃は肉をモリモリ食べても年をいったら食べれなく成るだろう。そしていつかは食べたくもなくなってしまう。自分一人でもそのように変化するものを、自分が好きだからという理由で人に薦める意味はない。自分の便利は人の邪魔なのだ。

まぁ万年筆にしてもコレと全く同じで。どこのメーカが初めて万年筆を作ろうが、どこのメーカが日本に初めて輸入しようが、どの作家がどの万年筆を使っていようがそんなものどうでもいいことだろう。

 

そして「自称万年筆博士」と言っている人も、結局先の鉛筆の粒子と同じように、知ったかぶりや思い込み、先入観が主だろう。

例えば海外製の万年筆と日本製の万年筆では、日本製の万年筆が日本人ウケするということがわからない人がほとんどではないだろうか。私もその理由でパイロットの万年筆を使っているが、海外製の万年筆はその主な筆記テストを現地語でする。アメリカ製なら英語、ドイツ製ならドイツ語と、まぁヨーロッパ圏でも主には英語でテストするだろう。

日本語で筆記テストを行い、それを前提にしている万年筆メーカはどれほどあるだろうか。日本製以外に日本語を書くことを前提にしているメーカがあるのだろうか。

これはペン先のサイズを考えても明らかだろう。海外メーカの万年筆は国内メーカのものと比べて太字であるというが、それはもちろん日本語のように漢字を書くことは前提としていないからだ。英語など漢字、いや、ひらがなよりも画数が少ない。だからこそ太めに作っても問題ないし、そもそも大きく書くために太めが望まれているのだ。

だがしかし日本ではBよりもM、そしてMよりもFMやFが売れているだろう。これがローカライズというものだ。それであるのに日本人にいくらモンブランがいいといってもしかたがない。作家で原稿用紙にかくように大きめのマス目であればまだしも、B罫のノートにBでは書くことが出来ない。

 

話が大幅にそれてしまったが、このように現地には現地の要求にあったものが用意されているのに、なぜわざわざ海外製のものを苦労して入手して苦労して使わなければならないのか。

コレクターのような意味のわからない人ならまだしも、一般ユーザがそんなことを望むわけがない。

 

だがまぁ一般ユーザも海外製のものを欲しがるという舶来信仰は、この国の国民性というものなのだろうか。

とにかく「詳しい」と言われている人に助言を求めることはデメリットが大きいことを理解しておくのはいいことではないだろうか。