ゴミ箱の中のメモ帳

まだ見ぬ息子たちへ綴る手記

志望動機ってなんか意味あるの

日本ではアルバイトでも正社員でも面接に応募する時に履歴書を書くのが一般的だろうか。

最近ではWebサイトや転職サイトからの応募が多くなってきているかと思うが、それでも志望動機だったり自己PRだったりを書いたりするようだ。

私は今までにあまり「応募」したことがないので志望動機など書いたことは無いが、採用する側になるとなぜか志望動機を見せられることに成る。

私が完全に採用につきっきりに成るのであればそんなもの廃止してしまうが、募集の発表や転職サイトへの登録は一般事務員が行っているので私がどうこうしようもない。そして、私以外の人間がそれを採用指標としているのだから書かせているわけだから、必要な人間が居るのであれば私が不要という理由だけではどうしようもない。

 

 

採用される履歴書・職務経歴書はこう書く<実例付き>

採用される履歴書・職務経歴書はこう書く<実例付き>

 

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だが志望動機を書かせて、その志望動機を読んでどういう意味があるのかわからない。

志望動機を目の前で宣誓させ、宣誓認証し、その履歴書の内容を宣誓供述書とするのであればまだしも、そんなことをさせていないのだから、単に紙切れに口八丁手八丁に思ってもいないことを印象が良くなるように書き綴っているだけだろう。そしてそんな何の意味もないウソが書かれた文章で印象を左右されて採用に影響するというのはおかしな話だ。

確かに採用担当者の印象をそこまで左右する名文を書けるというのはその人の能力の表れであるが、そんな能力を志望動機なんかで発揮しても仕方がないし、それであれば業種に応じたシチュエーションを用意してそれに対して作文を書かせたほうがより能力を確認できるだろう。

そして、作家やコピライターのような読ませる名文が必要な職業であればまだしも、例えばプログラマや医療事務の募集にそんな名文が必要だとは思えない。確かに同じ能力同士であれば名文をかければドキュメントや企画書などに有利かも知れないが、それはその職の判断基準からすれば極些細なものだろう。そして先にも書いたように、その能力を判定したいのなら作文課題を出したほうが手っ取り早く、より有効な判断基準と成る。

 

あなたが今までにどのように生きてきたかはわからないが、一度でも志望動機を書いたことがあるとすれば思い出してほしい。

その応募した会社への志望理由なんてあっただろうか。例えば医療事務に応募したとして、それはべつにその病院でなくてもよく、そもそも複数の病院に出したか、その病院しか出せるところがなかったのではないだろうか。そしてなにより、別に医療事務でなくても採用されるならコンピュータ会社でも、社長秘書でも良かったのではないだろうか。

そんな「別にそこじゃなくても良い」という考えなのだから、志望動機が口八丁手八丁になるのは当然の道理だ。

 

本当に心からその会社に入りたいと思っているのであれば、きっとそれはろくでもない動機だろう。例えばプログラマであれば「美人プログラマが大勢いるから」だとか、ストックオプションが欲しいだとか、スマフォゲームを作っているというとモテるから。ろくなものでもない。だがコレを志望動機に正直に「美人プログラマとの出会いのため」、「とにかく金が欲しい」、「会社名を看板にコンパに行きたい」と書く人間はいないだろう。

 

アナウンサー志望であれば、スポーツ選手と結婚したいから、金持ちと知り合いたいから、ワーキャー言われたいからと言うものであったとしても、それを正直に書いて採用された人間はいないだろう。

それらが正直な志望動機であるのに、正直な志望動機を書けば落とされる可能性が非常に高い。そもそも採用担当者側も、私が知る限りでは「正直な志望動機」を望んでいない。履歴書の志望動機を読んで笑い合っている場面を何度目にしたことか。

まぁこれも日本人的な本音と建前になるだろうか。本音なんてどうでもよく、建前的な志望動機を書かせ、採用後はその志望動機を盾に酷使しようと言う考えだろう。

 

そう考えて書かせているのであれば採用担当者の知恵の勝利ということになるが、これも私が知る限りそこまで考えて志望動機を書かせているというのを聞いたことがない。例えば三越で働いた時の人事担当の方はめちゃめちゃ頭がよく、対応もすごいと思っていたが、その採用の際には志望動機を聞かれることも書かせられることもなかった。

組み込み業界で働こうと思った際には志望動機を書けと言われたので、正直に「未経験でもいいと書いてたので」と書いたがそれでも採用になった。それは志望動機なんてそもそも形式的なもので誰も読んでいないのか、志望動機を吹き飛ばすくらいに私の技術が素晴らしかったのかはわからないが、どちらにしろ志望動機に採用は影響されないという結果だ。

そしてこれも、採用に影響されないのであれば志望動機は書かせる必要がない。

 

採用する側からすれば、形式的なものでも志望動機を書かせることで応募者をフィルタリングしよう、少しでも労力をかけて応募してくる人に絞ろうとしているのかも知れないがそれは間違いだ。志望動機を書くような人など、そもそも先に書いたようにどこで働くのでもよく、多量に応募しているのであろうから志望動機はほとんどコピーしたものだろう。であれば応募者のフィルタリングにはならない。

いや、志望動機などなく、単に働くのはどこでも良いと考えている技術を持った人が応募してくることの妨げになるだろう。私は自分に技術があるとは思っていないが、志望動機を書けと書いてある会社には応募しない。応募したくない。理由はここまでに書いているようにそれに意味があると思えないからだ。そんな意味のない、形式的なもののために労力をかけさせようとする会社など、入社してからも形式的な作業がてんこ盛りだと容易に想像できる。

 

私は職業訓練などで講師をしていたことも書いてきたが、こういう考えなので、その生徒たちに応募させるときにもこの話をしていた。職業訓練が終わりに近づくと就職活動が始まるのだが、どうも応募するのに難色を示す人が居る。理由を聞いてみると志望動機や自己PRが思いつかないという。

当時私は先にように「未経験でもいいと書いていたので」的な事を書けば十分だと考えていたが、世間はそうは考えておらず、必死こいて理由を探し、それをこじつけて創造的な文章を生み出そうとするようだ。そんなものは必要ないからとりあえず書いてみろと言っても、数時間かけて書いてくる。

それは阿呆だと応募シュミレーションとして会社に合わせて志望動機を書かせると、速い人間でも30分から1時間近くかかるようだ。そして長々と阿呆みたいに原稿用紙何枚にも書いてくる人間も居る。それには正直言うしかなかった。「採用担当者も暇ではない。長文を書いても読まれない。読むのが嫌になり飛ばされる可能性もある。長文を書くのはデメリットだ。」と。

そんな意味のないものに数時間書ける暇があるのであれば、数時間でWebサイトを一つ作って添付したほうが自己PRになる。とにかく未経験であるのであれば志望動機なんかよりも、今自分がどれくらいのことができるか知ってもらうほうが有利だ。職業訓練の数カ月の期間でどれだけのことができるようになったかということがわからなければ採用の判断など出来ない。もしそれができるような会社があれば、署名一つで採用を決められるような採用担当だ。

 

まぁ何度も書いているように私の感覚と世間の感覚は大きく乖離しているようなので私の考えは世間の非常識であると思う。だがしかし、私はこの考えでも働いてこれたわけだし、先の職業訓練の生徒もプログラマ希望の人は全員就職出来た。これは世間の職業訓練からすればすごいことだ。

世間の職業訓練は訓練内容と違う就職先への就職が半数を超える。なにより、1日でもアルバイトをすれば就職とみなされるので、コンビニのバイトなんかをするように無理やり斡旋する訓練先が多い。コレは自慢ではないが、世間の職業訓練は成果物よりも履歴書の書き方なんかを教えこむ方向があるからというのも一原因だろう。

ハローワークなんかでもキャリア・コンサルタントだの、ジョブカードだのアホらしいシステムがあるがあれが就職できない人を増やす原因だろう。あんなもの意味がないし、あんなものを気にしている暇があれば勉強に時間をかけたほうが確実だ。

そもそもハローワークで履歴書の書き方を習った、添削をした、礼状の出し方を聞いたというが、あんな物嘘っぱちだ。ハローワークの職員など公務員試験に合格した国家公務員なのだから、そもそもに一般企業で働いた人や、民間企業で採用担当をした人など極わずかだ。

国家公務員と一般サラリーマンの感覚のズレは日々生活していてもわかるだろう。

例えばハローワークで履歴書を添削すると、フォーマットや敬語の使い方ばかり指摘されるようだ。「ここは一つスペースを開けて書いたほうが良い」など、そんなことどうでも良い。そしてもちろん手書きさせられるので無駄に時間がかかる。

そして極めつけに礼状だ。ハローワークでは面接をすると、その日のうちに礼状を出せと言われるようだ。

正直言って、礼状なんて送られてくるのは迷惑でしか無い。礼状なんかに何の意味があるのか。お礼なら面接の最後に言ってくれればいい。わざわざ郵送されてくると受け取る手間(ポストが埋まるコスト)がかかるし、それを確認する手間もある。国家公務員にはわからないかも知れないが

民間企業では郵便を受け取り、それを開封し、それを読み、それをゴミ箱に捨て、ゴミを出すのにも全てコストがかかっているのだ。面接をするだけでもコストがかかっているのに、なぜ面接が終わった後にもそんなコストをかけなければならないのか。

そして出す側にも切手代や封書代がかかるので手間に成るだろう。

民間企業からすれば、ハローワークに言われたまま、何の疑いもなく礼状を出してくる人間、先のコストのことを考えずに行動してくる人間など「何も考えられず、コスト意識のない人間」としか判断することが出来ない。礼状は出すことは企業にとっても、応募者にとっても、そして採用についてもデメリットしか無い行為だ。

 

まぁ毎度のこと寄り道脱線意味がわからない文章だが、志望動機を書くことに意味はない。それを要求してくる会社ほど怖いものはないということだ。

「自己PR」や「あなたは会社に何ができるか」的な質問であればなんとなく役に立つ設問であるが、志望動機は本当に意味がない。