ゴミ箱の中のメモ帳

まだ見ぬ息子たちへ綴る手記

勉強法の勉強

私は日記としてブログを書いているのだけれど、その個人の日記に対して、文句を言ってくる人がいる。

私は試験を受験するときは記事にすることがある。最近も危険物取扱者の試験を受験したので記事にした。
その記事では、試験日の一週間前に受験のことを思い出し、テキストを購入し、読んだ内容や時間について書いた。受験日には、受験した結果と受験時の注意点を後世に残すために書いたつもりだ。

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だがその記録に文句があるようで、「頭がいいアピール乙」だの、「勉強時間を短く書いて楽しいですか」だの、「嘘乙」だの、いろいろと言われる。

それを言うことに対してなにか意味があるのだろうか。

私は自分の頭がすこぶる悪いとは思わないが、良いとも思えない。学歴で言えば、工業高校の機械科卒業であるし、30歳を超えて最近放送大学を卒業したばかりだ。

世間から見れば低学歴の骨頂のように見えるかもしれないが、だがそれでも、現在は大学で働いているし、それなりの試験を受験し合格しているので、頭が悪い気はしない。

士業は近いうちに受験を考えているが、まだ取得していない。だが、士業も行政書士社会保険労務士くらいであれば、1ヶ月もあれば余裕で合格できると考えている。
テキストを見る限りではその程度のレベルだ。

低学歴乙君がなぜこんなことを堂々と言えるかと言えば、世間の皆々様は頭が悪いと思っている。たとえそれなりの大学を卒業大生だとしてもそう思う。

なぜかといえば、どんなことにしても効率が悪い。

勉強とは暗記だと思っているのか、理解ではなく暗記しようとしていること、テキストがあるのにノートにそれを写経のように写していること。なぜそんなことをしているのか理解できない。
自分の思考をまとめているのならまだしも、テキストを丸写しすることになんの意味があるのか。

例えば行政書士の試験を受けようと思えば行政書士の勉強、危険物取扱者の試験を受けようと思えば危険物についての勉強、車の運転をするためには法規や運転の勉強をするかと思うが、なぜ、勉強するのに勉強法の勉強をしないのか。
勉強法の勉強とは金庫の鍵は金庫の中状態だが、勉強するには勉強する方法を勉強したほうが良いのは確実だ。

そんな事もわからず、勉強とは暗記と思い込み、暗記法を覚えているだけの人と一緒にされたくはない。勉強とは、覚えることではなく、理解することではないだろうか。

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