ゴミ箱の中のメモ帳

まだ見ぬ息子たちへ綴る手記

試験にパスする画期的テクニック

タイトルに騙されるな。
本書は試験にパスする画期的テクニックでもなんでもなく、単なる暗記方法を指南する書籍になる。具体的な内容としては難しく、英語圏を前提している部分が多いため、日本語話者に関しては自分で応用方法を編み出さなければ難しい。

だが著者は、トランプ1セットを1分もかからずに覚える能力を持った人間であるので、その方法が実際に使われているという点では参考になるだろう。

試験にパスする画期的テクニック

試験にパスする画期的テクニック



だが本書は、先に書いた記事にも取り上げた、勉強方法を考えるという点では参考になった部分もある。

当時は、まったくもって何の情報も吸収することができませんでした。誰一人として、知識を吸収するプロセスを説明してくれなかったからです。洗濯機を買えば、説明書がついてきます。

私が書いてきた内容を疑問とするならこれだ。新しい機械を扱う時、説明書を読むだろう。最近はユーザビリティとして、初めてアクセスする人間でもわかるようになっていることが多いが、ガラケーユーザがスマートフォンに変えたときに操作方法を学ばなければわからないように、新しいものに触れるときには学ぶのが一般的だ。
だが勉強というものに至っては、義務教育で9年間も行い、大学を出ると16年間も繰り返してきたわけだから、自分は勉強のプロフェッショナルと勘違いしているのか、先入観、思い込み、偏見で勉強方法が確立されているのか、勉強法を勉強するという意味すら理解できない人間がいる。

勉強するというアウトプットを行うには、勉強法のインプットがいることは明らかだ。

また、ノートをとる人間は馬鹿だと思っているが、以下の記述に関しては当てはまらない。私がばかだと指摘しているのは、カラフルに色づけされたノートを作る人間、テキストに書かれている内容を写経のように模写する人間、ノートをとっているのにノートを使わずに勉強している人間だ。

何のためにノートをとるか
1 ノートは効果的なフィルターとしてはたらく。つまり核をなす重要事項にだけ意識を集中し、それを優先して、どうでもよい無関係な情報を無視するのに役立つ。
2 試験前に、ノートを手早く参照して復習することができる。
3 自分にしかできない独特のやり方で情報をかみ砕くため、ノートの記述そのものが覚えやすい。
4 ノートが理解を助ける足掛かりとなる。
5 ノートをとることでテーマの全体像がとらえやすくなるとともに、想像力と論理的感性の双方に訴えかけることができる。

このように、テキストの内容、勉強の内容をノートにまとめ、それを利用できるのであればノートは最良のテキストになる。ノートをテキストにできるのであれば、その行為は模写ではなく創作活動だ。
ノートをとるのではなく、ノートを創作しているのであればそれは非常に有意義な行動だろう。


だが、そのノートをとるにしろ、勉強法を勉強するにしろ、間違った方法を突き進んでしまっては仕方がない。

小学校時代のことは、忘れようにも覚えられません。当時は、生徒に掛け算の九九を覚えさせるのに一番効き目のある方法は、恐怖心を与えることだと考えられていました。9かける7を間違えた時の罰は、算数の教師の手で無理やり教室の前に立たされ、「9の段」を暗誦することだったと記憶しています。

確かに恐怖心は人を必死に駆り立てるかもしれないが、だがそれで本当に有意義に勉強ができるだろうか。PTSDとなってしまっては何の意味もない。


勉強は自分のために、自分は社会のために、社会は平和のために。

勉強に励もう。

死ぬまで勉強だ。