良い意見が選ばれるのではない
前に「会議で怒る人」という記事を書いた。
その中で、会議で自分の意見が通らないと怒りだす人がいると書き、それは、自分の意見が劣っているからであり、周りの意見が優れているから、それよりも優れた意見を上げれば採択されるとも書いた。
これを読んで、自分も良い意見が出せれば偉くなれる。と感じたのかもしれないが、それは事実ではない。
先の記事は便宜的に性善説を基礎に書いたが、実際の世界はそんな良い世界ではない。
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実際には、会議で意見が通るというのは、優れた意見という理由ではなく、発言者の権威が上乗せされている。上乗せではなく、それが乗算される事、指数倍にすらされる事もある。
鶴の一声という言葉があるように、日本では、上が言った事が絶対なのだ。上が白いものでも黒といえば黒となる世界。それがサラリーマンだ。
社長が何か意見を言えば、それを素晴らしいという幹部たちがおり、それが採択される。トップがいないにしろ、日本の会社で、上司が出した意見をひっくり返そうとする部下は日本にはそういないだろう。
いたとして、当たり障りのないように、角が立たないように意見を伝えるだけに止まる。それでも意見が変わらなければ甘んじる。そこで戦えば配置転換で意見を出さなくても済む部署に飛ばされる可能性があり、そうなったとしても、日本の裁判制度ではそう簡単に勝つ事はできない。
そんなリスクを犯してまで自分の意見を伝えたい人がいるであれば、そもそもそんな会社を辞めているだろう。という事は、その会社に残っているのは自分の意見を伝えようともしない人々だ。
ここで困るのは、偉い人というのは、自分の意見が採択されるのだから素晴らしいと勘違いしている事だ。自分が偉いという理由で意見が通っていることに気がつきもせず、自分は常に素晴らしい判断ができており、会議で発言した意見も素晴らしいと勘違いしている。
社長でないにしても係長でも、なんでも、役職がついている人間はそんな感じだ。下が自分と違う意見をしたらそれを封じ込めているだろう。
という事は、どれだけ素晴らしいアイデアを考えたとしても無駄で、当たり障りのない意見を出すと、それを上司が一蹴してくれるので、その上司のアイデアに乗っかれば無駄な労力は使わずに済む。アイデアを考える暇があれば、休日の過ごし方を考えている方が有意義だろう。
そんな社会に日本はなっている。
だからこそ、日本から優れたアイデアが出ないと言われているのではないだろうか。
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