ゴミ箱の中のメモ帳

まだ見ぬ息子たちへ綴る手記

ミスを叱責する無能

京都大学医学部附属病院が医療事故を起こして、その概要を公開している。

炭酸水素ナトリウム誤投与による急変死亡について
https://www.kuhp.kyoto-u.ac.jp/info/pdf/20191119_01.pdf

医療というのは「ミス=死」に繋がるが、その繋がった事例がこの報告になる。

医療におけるヒューマンエラー 第2版: なぜ間違える どう防ぐ

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概要としては、腎機能障害をもつ患者に対して造影CTを行うために、炭酸水素ナトリウムを規定の27倍投与した。また、1時間投与を全量と勘違いし、3時間に渡り投与している。これにより患者から痛みの訴え、医師の要請が頻回にあったが、看護師は医師には伝えている、医師は把握しているとの返答を行い、医師による診察は行われなかった。
その後、トイレで心停止を起こしている患者を発見したため、救命措置で心臓マッサージを行ったところ、肺からの大量出血を認めた。30分後に自己心肺が再開し、心肺補助装置の装着をしたが、出血が止まらず、多量の輸血を行った。医療安全管理室より、血液の抗凝固薬内服の指摘があり中和薬を投与したが、出血が止まらず6日後に死亡した事案。

概要からミスの部分を掻い摘んだが、大きなものだけでもこれだけの数のミス行為が重ねて起きた結果となっている。書かれていない部分を考えても、検査枠が空いてないからという理由で緊急枠を使ったとのことだが、それは緊急枠を使うほど緊急性があったのか、根本的に腎機能障害を持つ患者に造影検査を行う必要があったのか等、他の要因も多々あるかと思う。

このように、医療の現場でも個人単位のミスではなく、複数人がそれぞれに知識不足、認識不足、連携不足、確認不足というミスを重ねて犯している。医療の現場ではミスは起きるものという前提で動いているはずであるが、その現場でさえこのようなミスが発生する。

そのためにインシデントレポートがあり、インシデント報告や医療事故報告は個人を責めるためのものではなく、今後に活かすためのものであると、どの医療機関でも明記されているはずである。
インシデント報告が個人を責めるための集計表になっているのであれば、誰もインシデント報告をしたがらなくなり、インシデントの隠蔽や、捏造など、別のインシデントを発生させる要因になってしまう。

医療機関というダブルチェック、トリプルチェックが当然となっている業態でもミスは起こるのであるから、一般的な会社でミスは起きるのは至極当然である。

それなのに一般社会ではなぜかミスした人間を責める、責める、責め立てる。医療機関でのミスは死につながり、サラリーマンのミスは倒産につながるのかもしれないが、攻め立てていては何も解決しない。
郵便でも配達が遅いことを責められるのが嫌で荷物を捨てる職員がいるようだが、それと同じだろう。遅いのであれば改善策を考えればよいのに、なにも状況を知ろうとするのではなく、出来ないことを攻め立て続けるのであればどんどんと萎縮してしまう。

このように、ミス=インシデントというのは責めるのではなく、なぜそれが発生したのか分析し、解決策を考えなければならない。

先の医療事故に関しても、被害者には申し訳ないが、折角このような事故を報告する機会があるのであるから、あとにつながるように報告しなければならない。

トイレで心停止を起こし発見という内容を考えると、嘔気でトイレに移動したのかどうかという点はわからないが、それほど苦しい状態で放置されてしまっていたのだ。

「成人男性」として年齢を公表していないし、病状についても書かれていないが、せめて、年齢を公表しなければ、認知症があって「痛い痛い」と騒いでいても相手にされなかったのか、20代や30代の患者で、痛いと伝えていても、それを看護師が一蹴したのか、何もミスが起きた背景がわからない。


ミスを叱責するのは無能であり、そのミスの改善策を考えなければならない。

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