ゴミ箱の中のメモ帳

まだ見ぬ息子たちへ綴る手記

フリーソフトウェアを非難する自由

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先のTeraTermの開発者が引退した記事を読めば、フリーソフトウェア作りをしている私の気持ちが少しでもわかるかと、妻さんに読んでもらった。

note.com


だがTeraTermが何かわからないというところで挫折したようで、概要を私の口から説明したのだが、その嫁はんの反応に心を打ち砕かれた。



ズギャァァァァーーーーーーーン

メギャァァァァァァァーーーーン

と。

私は自分が苦労しているというアピールをしたかったのではない、可哀想だと憐まれたかったのでもない、応援して欲しかったのでもない。

私が何をしているのかということを知って欲しかっただけだ。

そんな私の気持ちは理解できなかったようで、嫁はんは私の説明を聞いた後、こう言い放った。

非難する自由もあるんだな

心、メギャァァァァァァァーーーーン


確かにフリーソフトウェアのフリーは、フリーペーパーやフリードリンクの「無料」というフリーではなく、フリーダム、「自由」という意味であると説明した。

使うのも自由、使わないのも自由、不便だったら改良するのも自由、改良したものを配布するのも自由、こう言ったつもりだった。

そして、この発言はその意味をちゃんと理解した反応に思える。

非難する自由もあるんだな

私は、フリーソフトウェアは人に喜ばれてなんぼの世界だと思っていた。だが確かに、非難する自由もある。発言の自由程度には、そのソフトウェアの感想を述べる自由もあるだろう。

非難されても、その自由も相手に授けているのだと思い、無でいよう。

非難する自由すらも与えるライセンス。素晴らしい。

「表現の自由」入門

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