ゴミ箱の中のメモ帳

まだ見ぬ息子たちへ綴る手記

評価する自由

先に、フリーソフトウェアを非難する自由があるということを書いた。非難する自由もあれば、不平不満を言う自由もある、優越を評価する自由もある。

だがこれらはフリーソフトウェアだからあるわけでもなく、いわゆる市販ソフト、シェアウェアにも存在する。

先の記事には、不具合の情報を書くだけでも過去に続く人には有益だと書いた。「バカあほちび」と書くだけでは何の意味もないが、それがなぜ使えないのか、と書かれていればそれは有益だろう。

使う自由もあれば、使わない自由もある、使って不具合があれば、使わない自由の元使わないだけで良い、と言うのは暴力的である。



例えば、使う自由の元使い、自分の考えと違う部分や、不具合があったとする。であれば、改良と再配布の自由の元、気に入らない部分を改良して再配布できる。その時に、変更点の履歴として、VersionやChangeLogになぜそれを改良したのかと言うことを書くだろう。
その書いた内容は、ブログに書く不満とさして変わらない。同じ内容をブログに書くか、プログラム内部に書くかの違いである。それはどちらに書こうと何の問題もない。なぜなら、プログラムの変更点をブログに書くことは往々にしてあることだからである。

これをソフトウェアではなく、他の業種で考えてみる。例えば、旅行や仕事で離れた地域に行く時に、じゃらんやら何やら、予約サイトを利用する。その予約サイトの評価は見ないだろうか。評価を読まないにしても、星の数なんかはパッと目に入る。その星の数が極端に少なければ敬遠したりしないだろうか。そもそも、予約サイトのデフォルトの並び順は評価順であったりするので、いやがおうにも評価を元に行動している。
この評価というのは、先に書いてきたブログに書いた不平不満を予約サイトに登録した人たちの累積だ。予約サイトではその評価をつけることを顧客に依頼している。その評価があるからこそ予約サイトを使う価値が生まれている。

このように、世間では評価をすることがビジネスとなっている。どこかの個人がブログに書く評価なんて可愛らしいもので、その評価の元評価を下す人を斡旋するビジネスが台頭しているのだ。

個人のブログに書かれる不平不満を否定するなら、これらのビジネスごと否定すべきだ。

予約サイトを利用しないにしても、Googleやらで検索するだけで、それはGoogleが評価した順番に結果が表示される。Googleは不平不満は書かないが、Googleがこれは表示すべき、表示すべきでない、価値がある、価値がない、という評価を下している。

何かを公開するということは、それが評価されることが当然に発生するということを理解しておかなければならい。

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