ゴミ箱の中のメモ帳

まだ見ぬ息子たちへ綴る手記

社員が財産

大企業の社長や経営者へのインタビューの中でこう答える人をたまに見かける。

「社員が財産だ」

そしてこれがなぜか「社員を大事にしている」と勘違いされ賛美される風潮があるようだが、なぜこの言葉を聞いて「社員を大事にしている」と感じ、それを賛美するのかが全く理解できない。

私がそのようなことをもし言われたとすると、「私のことを馬鹿にしているのか」と怒りを感じてしまうだろう。

労働法の基本がわかる

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この言葉の意味は「社員は会社にとって資産の一つでしかありませんよ。人ではなく物として評価し、物として扱っていますよ」と言っているのではないのか。自称人権家の皆様はなぜこの言葉を問題視しないのかを非常に謎に思う。

最近ではブラックと呼ばれる会社があるようだが、人を人として酷使する会社より、この言葉を使っている会社の方がブラックなのではないだろうか。


この言葉を発する人間からすれば、所詮社員は駒でしか無いのだ。駒であるので利益を出さなくなれば切り捨てられるのが当然な行いだ。

しかも人間としてではなく資産(駒)としか見られてはいないのだから、その切り捨てに感情が判断に入り込む余地はないだろう。


資産が利益を生み出すうちはそれは大事に扱われるだろう。その資産を保持しておくだけで利益があり、それを大事に扱えば資産が勝手に勘違いしてより利益を出してくれる。さらなる利益を自ら追求してくれる。こんな優良な資産は社員以外存在しない。

そして資産なのだから利益を出さなくなれば不良資産として会社からすればゴミ以下の扱いになる。すぐに捨ててしまわなければ負債がかさんでいくのだ。


「社員は財産」

この言葉の本当の意味はこういう深みを持っているのではないだろうか。


そもそもこの言葉は定型句のように良く耳にするが、最初に言ったのは誰になるのだろうか。

その人がどういうつもりでこの言葉を使ったのかが非常に気になるところだ。