ゴミ箱の中のメモ帳

まだ見ぬ息子たちへ綴る手記

国体が公平でクリーンな退会だって? バカ言ってんじゃないわよ。

今年は第69回国民体育大会の長崎大会(長崎がんばらんば国体)がある。大会はあと4ヶ月ほどで開始とあり、私の周りでも少しづつ騒がれ始めている。

そしてその中で「国体は平等で公平、クリーンな大会」のようなことを口にしているバカが居てびっくりした。国民体育大会とは不平等、不公平でいかさままみれの出来レース大会だ。それを証拠に予言できるのは第69回国民体育大会天皇杯皇后杯共に長崎県が勝つであろう。

いや、「取る」のではない「取れる」のだ。国体は開催地が優勝できるようになっているのだ。

国民体育大会の研究―ナショナリズムとスポーツ・イベント

国民体育大会の研究―ナショナリズムとスポーツ・イベント


本気で国体がクリーンな大会だと思っているのであれば、参加選手の名簿からその選手について調べて欲しい。国体年のみ開催地に移籍し、翌年はまた別の開催地に移籍していく。そして、開催が決まった地域では開催年を目標に上位入賞が見込める選手を体育教員として採用し県代表とする。これは国体が近くなるとその県の体育教師が定員オーバーするのからも容易に想像できる。

そして、県外の企業に優秀な選手が居たとすれば開催年限定で開催地に異動させる。学校では授業よりもクラブ活動を優先させ、優秀な指導者をスカウトして指導に当たらせる。

こんなことが平然と行われているために開催地が優勝できるのだ。


例えば1964年の第19回大会以降は天皇杯を開催地が優勝しており、ほぼ90%で皇后杯も開催地が優勝している。要するには過去50年間の90%が開催地が天皇杯皇后杯共に優勝しているのだ。2002年の高知大会では天皇杯皇后杯共に東京にとられたが、これは完全な大会の失敗。

四国内の大会は複数県が共同開催していたにも関わらず、2002年の高知大会では高知県が単独開催したために競技場、宿舎共に不足し開会前に競技をするなど完全な失敗となっている。この失敗から選手の獲得や移籍などに手が回らず、資金も回らずこのような結果になったと思われる。


さらに、このようないかさま(選手の獲得)以外にも、競技成績が得点制であることにもこの出来レースは操作されている。ポイント制な事自体には問題ないのだが、このポイントにもイカサマが隠されており、選手が競技に出場すると「参加得点」なるものが加算される。

もちろん「参加得点」にも罪はないのだが、「開催地は全競技の予選免除」なる「フルエントリー制」が問題となる。開催地以外は予選を通過した競技のみ参加可能となるが、開催地は予選が免除され全ての競技に参加が可能となっている。これにより、全ての競技において参加得点が加算されるのだ。

こんな酷い大会はない。これでは開催地が優勝するための大会でしか無い。


例えば昨年の第68回の東京大会が顕著で、天皇杯では第一位の東京が3486点、第二位の大阪が1839.5点、皇后杯では第一位の東京が1622点、第二位の大阪が883.5点と開催地が第二位と得点差が倍近くとなっている。第二位と得点差が倍も開く大会など大会として成り立っていない。これは東京が強豪地であり常に上位入賞しているにも関わらず、参加地となったために参加得点が無差別に入ってきたためにこの差となってしまっている。

その前年の第67回大会では東京は2031点と1008点、第66回大会では2053.5点と976.5点と、第65回大会では2171.5点と995.5点と、天皇杯が2000点前後、皇后杯が1000点前後と毎大会近似値であるにも関わらず、開催地となると急に1500点、800点も上昇したのはこの参加得点ためになる。逆に言えば、どの地域で開催されたとしても、これに相応する得点が自動的に加算されるのだ。

この自動加算得点のために下位の常連である県も開催地になれば優勝できるのだ。


これらの問題点は以前から問題視されていて、特に選手の移籍については2010年の山口大会で問題が露呈し、2011年大会からは選手の居住、勤務実態から参加基準を明確化するとなっている。だがその居住実態も「原則として対象期間(開催年の4月30日から本大会終了時)の半数を超える居住実態があること」等と、結局の所1年の移籍で問題ないことを公に告知したことに過ぎない。


選手個人個人の大会としては悪くない。だが、開催地が優勝することはほぼ決まっており、それは出来レースである。開催地が優勝したと言った結果に意味はなく、優勝地(開催地)の選手であったことにも意味はない。


ちっとも平等でも公平でも、クリーンでもない大会。これが国民体育大会なのだ。

いやぁ、こんなことも知らずに入賞を目指すと騒いでいる人たちが可哀想。いや、知らないことが幸せなのかもしれない。