ゴミ箱の中のメモ帳

まだ見ぬ息子たちへ綴る手記

馬鹿は利用されて生きていけ

先から「本を読まない人間には近づくな」、「テレビは危ない」と言う記事を連続で書いている。

今回もそれに関連する記事だ。

馬鹿は頭の良い人間に利用されて生きていけ。文句を言うな。疑問にも思うな。それだけだ。


馬鹿な人間というのは何時の時代もいる。過去も現在も未来も常にいつづけるだろう。

だが変わらないことは、馬鹿な人間は過去も現在も未来も利用され続けるだけということだ。


例えば私が記憶している古くはダイオキシンの問題にしてもバカたちが騒いだおかげでダイオキシン類対策特別措置法が作られた。今現在もバカが騒げば騒ぐほどそれを利用して頭の良い人間が金儲けをしている。それだけではなく、その頭の良い人間に都合が悪い対象(法人や個人、法律等)にバカたちを利用して攻撃させる。本来はその対象が歓迎されるべきものであるにも関わらず、バカたちはそれに気がつかずに利用されて自分たちに不都合な方向に向いてしまうのだ。

物を燃やしていると「ダイオキシンが出る」と現在でも口にするバカがいるが、ダイオキシンについて何をわかっているのだろうか。それを燃やした結果どれほどのダイオキシンが出て、それは平均空気中濃度にどれほど影響を与え、その濃度の空気を吸い込むことでどのような影響があるのかわかっているのだろうか。

わかっていないから騒ぐのだろう。

「私はそれを知っていますよ」、「私はそれを問題視していますよ」とそれをかっこいいと感じ、それを知っている自分に酔いしれているのだろう。それらについて答えられる知識を持っているのであれば騒ぐことはない。騒ぐとすれば馬鹿な人間を利用して自分がのし上がるために「ダイオキシンは危ない」と馬鹿な人間を焚きつけるためにだろう。

実際にそうやって炊きつけられたバカどもが騒いだ結果法律が作られた。


最近では放射線がこの最たるものだろう。私の周りにも放射線を批判する人たちが大勢いる。だがその人たちに「放射線とはなにか」と質問しても明確な答えは返ってこない。自分が理解していないからこそメディアなどの頭の良い人間が創りだした情報に洗脳されて批判するのだ。放射線を害悪と批判するのであれば、最低でも医療現場の放射線(X線やRI)も批判してほしい。

身体に良い放射線と身体に悪い放射線はない。それは同じものだ。同じものをどのように利用しているかだ。簡単には苛性ソーダ(水酸化ナトリウム)は劇物なので歓迎されるものではないが、例えば浄水場でも一般的に利用されている薬品になる。利用の仕方が問題でありそれ自体を批判するのは大きな間違いだ。

放射線(妄想)被害者の多くは頻繁に病院に通う。自分の(妄想)被害を医療として証明させるためだ。だが内蔵や骨の検査にはレントゲンを使う必要がある。レントゲンはまさにその放射線(X線)だ。放射線被害を確認するために批判する対象の放射線を使うとはどういった了見だ。

RI検査は体内にラジオアイソトープ(放射線同位体)を投与してシンチカメラでその放射線を測定する。簡単に言えばこれは体内に放射線の発生源を入れるという検査だが、半減期が長くても数日になるためすぐに減衰する。体内に入れるということで抵抗がある人間がいるようだが、RI検査の侵襲度はその他の検査方法よりも非常に低い。CTなんかよりも圧倒的に低い被曝量になる。だがこんなことも知らずに、知識もなく単に「身体に入れるのは嫌」と言う理由、さらには「放射線は害しか無い」という馬鹿な理由でそれを批判する。

放射線が嫌なら病院に行くな。医療などそもそも直接的に身体に良い行為など殆ど無い。手術するにしても、それは身体を切ったり貼ったり取り替えたりという身体に良いわけのない行為の集まりだ。だが、それらの行為の結果、副作用として改善が見られるのだ。


病院に言って点滴を求める馬鹿がいるらしいが全く何もわかっていない。点滴に何の意味があるのか。経口で水分を摂取できるなら点滴はそれと代わりはない。注射ばりを刺される分侵襲度は高い。点滴はただの点数稼ぎだ。だがそんなこともわかっておらず、プラシーボ医療として点滴を求める。病院側からも「治療した」という雰囲気を味あわせて納得させるために点滴をする。そうして「あそこはいい病院」と評判が周り患者が増える。


このように先のテレビも含め、世間には頭の良い人間が作った情報操作が氾濫している。頭の悪い人間はそれを心地良いと感じるのだろう。自分の行く方向を示してくれる。何について騒げばいいのか教えてくれるのだから。