1日5分! 忙しすぎる毎日から抜け出す習慣術─もう「時間が足りない!」は言わない ヴァロリー・バートン(著), 小室 淑恵(監修, 監修), 満園 真木(翻訳)
本書を読み始めた冒頭からさすがに納得のいかないものがあったので、私はそのレッテルを貼ったままに本書流し読みしてしまった。
だからおよそ本書の内容はほぼ理解していないし、それ故にきちんとした判断でも出来ていないであろう。
1日5分! 忙しすぎる毎日から抜け出す習慣術─もう「時間が足りない!」は言わない
- 作者: ヴァロリー・バートン,小室淑恵,満園真木
- 出版社/メーカー: 日本実業出版社
- 発売日: 2009/02/05
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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その冒頭というのはこれになる。
P21.
2 オフタイムは仕事以外のことだけに使う
こんな単純な文の一つに何を納得がいかないのかと思うかもしれない。だが私は今までにこの内容をずっと実行してきた人にもそれを推奨していない。
働くとは何かという根本的なものがこの一つの文体に現れている。
私はこの文だけで判断をしてはいけないと、斜め読みながらも最後まで5分程度で読んだが、その文の意味は私が想像していた通り「仕事とプライベートは完全に分け、プライベートを大事にしろ」と言うものであった。
私はこれには納得しないし、今までに様々な理由を聞いてきたがそれに納得することは出来なかった。
本当に心からそう思っている方の説明をこれからも是非とも聞いていきたい。この記事を読んだ人の意見もあれはぜひコメントして欲しい。
私は理由に納得できれば考えを変える対応度は持っていると思うし、そもそもにそう考えられるのであればそうした考えのほうがいいかもしれないとも思っている。まだ説明で納得したことはないので、「かもしれない」の状態のままではあるが。
だが仕事とプライベートは絶対的に分割が不可能なものであるとしか考えることが出来ず、それによって仕事にプライベートが入るこむことも、プライベートに仕事が入るこむことも許容して生活していく必要があると考えている。
会社もそれに同意しているからこそ、仕事にプライベートが入り込むことを否定していないはずだ。それを否定している会社であれば、私物の携帯電話を持ち込むことも、弁当を持ち込むことも決して許可しないはずになる。
本書の言うプライベートと仕事を分けろというのであれば、仕事の最中にプライベートなことを入れるべきではない。
例えば子どもが幼稚園に通っているとして、仕事中にその幼稚園から電話があったとしても出るべきではない。何より個人の電話を仕事中に確認すること自体がプライベートと仕事を分けることのできていない証拠ではないだろうか。プライベートと仕事を分けるとは、そのような仕事に入り込んでいるプライベートをまずは切り離してから言うべきことではないだろうか。
本書の著者はそれにはなっとくしないだろう。だからこそ本書の内容を私は矛盾と感じた。そしてその考え自体がおかしいとも思っている。
この考えについてはまた別の記事にするかもしれない。