ゴミ箱の中のメモ帳

まだ見ぬ息子たちへ綴る手記

LINUXがWINDOWSを超える日 脇 英世(著)

本書も先の「TRONで変わるコンピュータ」のように何度も繰り返し読んでいる書籍。出版が1999年ということもありまさにGNU/Linuxが普及し始めた時代だ。

GNU/Linux普及以後の記録やインタビュー記事は多くあるものの、ちょうどこの時代やこの時代以前の記録は中々見つからない。本書はその時代の数少ない日本語での記録になっているだろう。

LINUXがWINDOWSを超える日

LINUXがWINDOWSを超える日


タイトルからすると中々疑い深い書籍に思われるが、「超える日」と言うところにこだわりはない。

P244.
加えて、LINUXが明日にもクライアントの首座を奪いデスクトップに乗るようなことを期待する向きもあるが、それは無理なことである。マイクロソフトが持っているような、ワードやエクセル、パワーポイントのような製品をLINUXが持つには数年はかかる。技術的な問題だけではない。マーケディング戦略の円熟度とブランドの信頼性を獲得するには時間がかかるのである。マイクロソフトMS-DOSとそのアプリケーションが市場を制圧するのにも非常に長い時間がかかったのである。
ただ新しい時代の風と歴史は新しいLINUXの流れの方向を向いていることは確実である。

これはタイトルを否定するのではなく、「時間がかかるがGNU/LinuxWindowsを超える日」と言うのをターゲットにしたものとなっているのがわかっていただけると思う。


だが本書には基本的に未来的な予測の記述はなく、基本的には現在(出版当時)までの流れを記録したものになる。現在でもフリーソフトウェアオープンソース・ソフトウェアと言う二つの言葉があるが、それがなぜ分離したのかということや、現在あるディストリビューションがどのような経緯で作られたか、また、当時はGNU/Linuxに限らずUNIXやコンピュータ、ソフトウェア業界はどのような混沌なる状態であったのかということは非常に面白い。

ご多分に漏れず、リーナスとタネンバウムのMLでのやりとりについてもふられている。だがその内容についても、最近の書籍にあるような批判的な意見ではなく、きちんとしたタネンバウムの意図と、リーナスの真意を汲み取った解説がされている点でも本書は非常に優れている。

現在(今)では解散した団体やディストリ、今となっては名の通っていない人物にも多く触れられているため、当時のことを知らない人にとっては少々読みづらい内容かも知れないが、GNU/Linuxフリーソフトウェアがどのように成長してきたかということに興味のある方には是非とも知っておいていただきたい内容ばかりになる。

どう考えてもストール万は素晴らしく、リーナスは当時から態度が悪い。