ゴミ箱の中のメモ帳

まだ見ぬ息子たちへ綴る手記

成毛眞のスティーブ・ジョブズ超解釈 成毛 眞(著)

私の周りにも最近はMacを使っている人が多くいる。iPhoneMacを使いジョブズAppleについて語りだす。こんなバカを多く見かけるようになってきた。

私からするとMacを使っている人間はバカだし、iPhoneを使っている人間は周り人のことを考えていないとも思っている。

ジョブズの話にしても書籍やニュースからの受け売りで、私が経験してきたAppleジョブズの考えとは全く違う。

成毛眞のスティーブ・ジョブズ超解釈

成毛眞のスティーブ・ジョブズ超解釈


そんな人たちは「日本人は常識に縛られている」、「独創性がない」と言ってジョブズの真似をしても、それが典型的な日本人だ。「常識から外れないといけない」と言う常識にしばられ、「独創性がない」といいつつジョブズの真似をしようとする。何かの真似に独創性も何もあったものではない。

例えば世間で語られるジョブズのイメージなどジョブズが作り上げたマーケティング上のジョブズであり、それが素晴らしいと思っている人たちはAppleにとって「良い消費者」、「いいカモ」でしかないのだ。ジョブズAppleを「信仰させる」というのがジョブズの目的なのだから、まんまとそれに引っかかっていることでしか無い。これこそ「何も考えないバカの為の製品」であるといえないだろうか。

たまにプレゼンの場にジーパン姿で現れ、舞台の真ん中に立って語り始めるバカもいるが、あれには目も当てられない。単なる真似に見えるのであれば良いが、真似をしただけでそれがメーケティングにつながらなければ単なる「礼儀のない人」、「非常識な人」で終わってしまう。またこれももちろん独創性の無い人の真似でしか無いのは明らかだ。

本当にジョブズの考えが素晴らしいと思うのであれば、今すぐに社員で気に入らない奴は全員今すぐ解雇して欲しいし、交通規則を守らずに運転し、信号なども守らずに横断歩道を渡って欲しい。


これら全てがジョブズのマーケティングも含めた生き方だ。それを真似ずに都合の良いプレゼンだけを真似しても何の意味もない。プレゼンはマーケティングの一部で、全てを合わせなければ意味がないのだ。

確かにジョブズは素晴らしいセールスマンであった。行動全てでセールスを考えており、そのセールスのための行動をしている。

だがそれは世間一般に語られるような素晴らしい物ばかりではなく、反社会的な行動を多くしているのも事実だ。

本書を読めば本当のジョブズの姿が見えるだろう。少なくともジョブズに接近し、マイクロソフトというジョブズが一方的に攻撃していた企業の社長として感じたジョブズについて書かれている。本当のジョブズについて書かれた数少ない書籍になる。


例えばジョブズは「WindowsMacをパクっている」と言いふらしていた。それを信じるようなバカはジョブズの言ったことは全て正しいと思っているような信仰者であろう。だが実際は違う。ジョブズMicrosoftを訴えたが、アラン・ケイも参加した裁判でMacWindowsもAltoのパクリであり、WindowsMacのパクリではないし、MacGUIを開発したわけではない。GUIはAltoが開発し、MacWindowsもAltoをパクったのだと証言され法的にも起源的にも勝てるはずもなく裁判を取り下げた経験があるのだ。だからその後は裁判に訴えるのではなく、ジョブズが公共の場で吹聴するにとどまっていたのだ。

こんなことも理解せずにバカなことを言いふらしているMacユーザも多い。例えばジョブズの自伝はかなりの数が売れたようだが、私の周りで自伝を購入した人は居ても、読んだ人は居ない。Macユーザがステータスとしてジョブズの自伝を書い、結局はそれがステータスであるのだから読まなかったのであろう。Macユーザとはそんなものであるということを考えて接してあげなければならない。


私の嫌いなMacの話ばかりになってしまったが、本書でもこのような事実が羅列されている良い書籍になる。