ゴミ箱の中のメモ帳

まだ見ぬ息子たちへ綴る手記

先輩って何が偉いの?

その先輩が自分よりも能力が高いのであればその先輩を習うと考え、敬うのなら理解できる。

だが、その先輩が自分よりも能力が低く、敬う対象でなければ先輩というだけで敬う必要があるのか。

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この先輩、後輩の問題は芸能人やスポーツ関係、学校生活でよく見られる。だが一般的な会社や社会では見受けられない。どれだけ長く働いている人間よりも上司が偉く、勤続40年定年間際のおじさんよりも新しく雇われた25歳の社長のほうが偉い。

これは当然で、能力がある人間が能力のない人間の上に付くのは当然な成り行きであり、能力のない人間はある人間に従うのが当然であるからだ。


だが芸人は売れている後輩が先輩に何かを言うと、先輩が後輩に対して「先輩だぞ」と偉ぶる。その先輩が芸能のことをより熟知しており、後輩に教えることが多くあるのであればその反応も理解できるかもしれない(実際は理解できないが)。だが能力もなく、売れていない先輩が後輩に教えることとは何なのだろうか。

売れている方が露出やテレビ出演の機会も多く、売れていない先輩よりも業界に詳しいはずだ。場数が違うのだから。


さらにたちが悪いのが「学校」での先輩だ。

学校生活では先輩に教えてもらうことなど無い。授業では教師から教えられ、教えるから教師たるのだ。

だが1年や2年先に生まれたという理由だけで学内では先輩が絶対的な権力を持ちのさばる。何が偉うのかわからないが先輩風を吹かせる。

もしこの「先に生まれる」ということが偉く絶対的な権力をもっているのであれば、この先輩後輩は関係なく、単に年上か年下かだけで全て決まるはずだ。だが芸人でもスポーツでもこのルールは当てはまらない。

ダブった人間が居たとしても一年は一年の扱いであり、トリプった一年生を二年生は使う。三年目の学生であるにも関わらず、二年目の新米が偉ぶる。学校では「学年」が権力を持つのだ。

先に生まれたから、先にそれを始めたから、それの何が偉いのか。何を威張ることがあるのか不思議だ。


芸人については他におかしな常識が目立つ。別の記事にしたい。

芸人の嫁になりました。

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