ゴミ箱の中のメモ帳

まだ見ぬ息子たちへ綴る手記

読書力 齋藤 孝(著)

良書だ。良書。これを読め。

本書は以前に読んだ「人はなぜ学ばなければならないのか」と似た内容になるかもしれないが、タイトル通りに主題を「読書」においている。

私もまぁこれまでに読書を推奨する記事を多く書いてきたが、本書は私が書いてきたことよりも強烈に読書を推奨し、また、読書をしていない人間を批判している。

読書力 (岩波新書)

読書力 (岩波新書)


本書のやりたいことはまぁこれだ。「言いたい」ではなく「やりたい」だ。

P3.
読書が習慣化している人間は、読書が素晴らしいものであることを知っている。そして、その素晴らしさを伝えたくなる。読書をあまりしたことのない人に本を読ませたい。これは、立派な<教育欲>だ。

この考えのもと著者が取った行動が「本を出して読書を薦める」と言うものになる。私もこれをブログ記事には多くしてきたつもりだが、齋藤孝の行動はそれらの行動が無に等しいほどに強烈なものとなっている。

だがしかし、本を読まない人間に対していくら本で読書を訴えてもそれが届かないように思えて残念でならない。本を読まない人間はもちろんのこと本書をよまないし、読むにように言っても言い訳をして読まないだろう。無理矢理に読ませるようにしたとしても、おそらく読書に慣れていない方からすれば、本書に書かれている全てのことは響かないだろう。響かないからこそ今までも読書をしてきていないのだ。

本書は読書をしていない人間向きではなく、むしろ日頃から読書をしている人間向きの書籍とすれば考えやすい。日頃から読書を行っていれば本書に書かれている大半には納得出来る。

本書もご多分にもれず三色ボールペンのことがかかれているが、何度も書いているように私はそれを理解することがまだ出来ない。


読書をしない人間に聞きたいことは「なぜ読書をしないのか」ということだ。「無駄」、「役に立たない」など色々な言い訳があるだろうが、それらはなぜ読書をしていない側の人間が言えるのかということだ。

もし「読書なんかよりも体験することが大事」などと言うバカがいれば手遅れだ。確かにどのようなことも体験にまさるものはないだろう。だがなぜあなたは「読書をする」という体験をしないのか。体験が大事なのであれば、読書を体験することも大事なはずだ。


さぁ、バカは放っておいて読書をしていこう。