ゴミ箱の中のメモ帳

まだ見ぬ息子たちへ綴る手記

不勉強が身にしみる 学力・思考力・社会力とは何か 長山 靖生(著)

身にしみる。身にしみる。身にしみすぎてヒリヒリする。何しろタイトルが身にしみすぎて手に取った。

本書の内容はタイトルから想像できるような、「勉強をしてこなかった自分自身への後悔」が書かれたものではなく、現代のいわゆるゆとり教育や、勉強そのもの、果ては教育制度にまで踏み込んだ内容が書かれている。それらも著者の考えだけが書かれているのではなく、法律などにも基づいて書かれているために読みやすい。

不勉強が身にしみる 学力・思考力・社会力とは何か (光文社新書)

不勉強が身にしみる 学力・思考力・社会力とは何か (光文社新書)


本書を読めば、いわゆる学力というものの正体や、現在日本が陥っている「勉強」と言うものへの勘違い、そして教育の実態など、様々な現実が目に見えてくるかと思う。

私も小さな頃より親から「学校の勉強など将来何も役に立たない」と言われてきたが、今現在はそのように話す親が多いという。これは全くの嘘だ。それは低レベルな知識しか持たないからこそ業務に役立てることが出来ず、役に立たないと自ら勉強しようとしないから上に上がれないという悪循環になっているだけだ。親の上司を見れば、それらの人がいかに勉強してき、現在も勉強してきたかわかるかと思う。

そもそもに最先端技術と言う現場で働いている方々は勉強を積み重ねて得た知識を使い、それらの技術を生み出しているのだ。


勉強は「頑張るもの」ではなく、「習慣とするもの」というのを本書からわかってもらえれば嬉しい。


まぁ何よりもタイトルに共感した方が、自身の勉強への再考も込めて読んで欲しい内容になる。古くは孔子夏目漱石の時代にも遡って勉強というものの考えを知ることが出来、自分がどれほど甘えて生きてきたかがわかる書籍となっている。

例えば「学問ノススメ」は有名になるかと思うが、どれほどの方がこれを読んだだろうか。そもそもこれは福沢諭吉が小学生向けに書いた書籍であり、当時は実際に小学生が読んでいた書籍になる。それが読めない現代人というのは、当時にすれば小学生よりも劣っているということではないだろうか。


私がしっくりきたのは本書の巻末の言葉に凝縮されている。

P235-236.
自立支援施設がどんどん増えて、江戸後期の人足寄場のように、遊民が強制的に収容されるようになる前に、若本はとっとと自主的に努力をしたほうがいい。大人もまた、身を持って、わが子や後輩たちに、学ぶ姿勢の清々しさを示したほうがいい。大人だって、勉強するに手遅れということはない。いや、手遅れかもしれないが、それでも私は勉強します、という態度こそ、清々しいのではないか。
ついでに、本当に社会をよくするためには、みんながどういう勉強をすればいいのかもきちんと考えたほうがいい。それが自分一個の自立への道であると同時に、正しい社会や支援のあり方を考える第一歩でもある。

まさに30歳を目前とした私が放送大学に入学し、いまさらに勉強をするというのは遅すぎるかもしれない。

だがいまさらにでも勉強をすることの大事さを知り、いまさらに勉強をしていることは胸を張って誇っていきたいと思う。

その姿を今の学生などの若い人間に見てもらい、勉強の大事さもわかってもらえればと思う。



今が私の青春だ。