使わない知識は知らないのと同じ
これは常に考えて置かなければならない。
私は頻繁に「知ってたんだけどねぇー」、「私も思いついてついたんだけど」、「そんなことくらい私も知っている」と言う言葉を耳にする。
知っていたけどやれなかった、知っていたけど先にやられた、そんなこと言われなくても知っている。これらのどれに意味があるというのだろう。
その知識があろうがなかろうが、それをやらなかったという事実は変わらない。そして実際は大多にして「やれなかった」のではなく「やらなかった」のだろう。やらなかったのならそれは全く意味はない。
自分が行動せず、先に行動した人間にあとから「自分も思いついていた」と言うのは後出しでいくらでも言えることだ。その良い例が特許であろう。Webサービスなんかがヒットした時に「あれは私も思いついていたアイデアだ」と言っても何の意味もない。本当に思いついていたとしても、思いつくことなどに意味はない。それを行動にうつせるかどうかが問題だ。
言われなくても知っているなら、なぜその言われる状況になったのか。知っているのにその知識を持った行動ができていなかったから注意でもされたのであろう。知識を持っているのにその行動が出来ないというのは、知識を持っていない人間よりもたちが悪い。これは「反韓とか嫌韓とか言ってる奴って、お前らがバカにしてる韓国人よりバカだよな」にも書いた。
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世間はアホで溢れているが、そのアホの常套句が「それは知っている」という言葉だろう。その知識を持っており、それを実践できていればわざわざ同じことを何度も説明されることはない。だがアホはそれを実践できないために何度も何度も同じことを言われる。
だがもちろん何度も聞いていることなので「それは知っている」と答えるほかないのだ。そして知っているつもりになっているから説明されても聞こうとしない。だからこそ理解できずに同じことを何度も繰り返す。
とにかく知識として持っていようが、それを使わなければそれを知らないのと同じだ。
例えばどれだけ高度な数学知識を持っているとしても、それを役立てなければ何の意味もないのはわかるだろう。知っていたとしても、それを使わなければそれは知らないのと同じだ。
どれだけ善意があったとしても、その行為を実際に行動としなければそれもないのと同じだ。善意がなくても実際に行動したほうが役に立つのも明らかだろう。これは「やらぬ善よりやる偽善」と言う言葉そのものだ。
とにかく知識は使ってこそ、それを行動に移してこそ意味があるのだ。どれだけ勉強したとしても、その知識を実生活に役立てなければ意味がない。勉強はそれを役立てるためにするのだ。勉強を求め勉強することほど無駄なことはない。
万巻の書を積んだところで、それは一歩外に出ることよりも全く意味がないことなのだ。
とにかく知識があればそれを役立てろ。役立てることのない知識など意味がない。そんな知識はとっとと忘れ、役立てることの出来る知識を得ろ。