ゴミ箱の中のメモ帳

まだ見ぬ息子たちへ綴る手記

思考・発想にパソコンを使うな 増田 剛己(著)

タイトルからは巷に氾濫しているメモ術の書籍に思われるかもしれないが違う。メモの書き方などについてはほとんど扱われておらず、2章の過去の偉人たちがどのようにメモを取っていたか、日々を記録していたか、というのが主内容になる。

本書ではパソコンで文章を書くことを敬遠しながら、メモを取ることはどれほど重要で、それがどれほど面白いことかという事を扱っている。

思考・発想にパソコンを使うな (幻冬舎新書)

思考・発想にパソコンを使うな (幻冬舎新書)


私は日記をつけていないが、過去に何度も日記をつけようとしてきたことがある。だがどうもうまくいかない。日記を書くことは苦ではないのだがどうも楽しくない。楽しくないから習慣にするつもりになれずやめてしまう。意味があるのかと悩んでしまう。

だが本書を読んで再度日記をつけようと感じた。三日坊主のように単に思いつきではじめるわけではなく、日記をつける目的を考えることができたからだ。

本書の中で日記をつけていた過去の文豪達の話が出てくる。その中で引用されている日記では、多くの人が日記を読み返している。私も過去の日記を参照することはあっても、読み物として読み返すことはなかった。

そうだ。日記は読み返すことを前提に書けばいいのだ。その日にあった事実を書きその感想を書いた所で未来の自分には役に立たない。それは単なるそのひと出来事の羅列だ。ライフログだ。

だが、未来に読み返すことを前提とするならば考え方は換わる。その出来事を教訓として書けば未来から参照する価値が生まれる。出来事を発展して事実に即して書けば未来の自分へ道を残しておくことができる。

日記は今の自分のために過去の自分を振り返って書くのではない。未来の自分のために今の自分が過去の自分についてを書くのだ。


こう考えさせてくれた書籍だ。

過去の文豪についての引用が多く、そのどれもが読んでみたいと思わされる内容であった。私のこの読書感想文も未来の自分が参考にできるように残していかなければな。