ゴミ箱の中のメモ帳

まだ見ぬ息子たちへ綴る手記

パプリカ

どうもファンファン大佐筒井康隆の区別がつかない。

まぁ関係ない。

筒井康隆の作品はあまり読んだことはない。記憶に残っているのは家族八景くらいだろうか。もしかしたらほとんど読んでないのかも知れない。もちろん本映画の原作であるパプリカは読んでいない。

家族八景は七瀬の続編がいくつか出ているのと、その人気からドラマ化などもされているようだがそれらは一つも見ていない。どうせまぁ時の若い女優かなんだかを使って訳のわからない「この女優かわいいでしょ」ドラマとしてなっているのは想像に難しくない。

いつかは見たいと思うが中々その機会もない。

と、そんななか筒井康隆原作のアニメ映画が有ると知ったので見ることにした。

原作を読んでから見るか、見てから原作を読むか選べるが、AKIRA風の谷のナウシカから考えるにしても、原作有り映画は確実に設定がねじ曲げられ時間内に押し込むためにキャラ付けが薄くなってしまう。

AKIRAではミヤコ様なんて違法集会で海に落ちる湯婆婆と言う設定に変化しているし、ナウシカでは巨神兵は口からゲロを少々吐いて終わってしまう。

是非とも原作を読んでほしい。

ということで、私はもちろん映画を見てから原作を見ることにした。原作を見てから映画をみると「わけがわからん」と思ってしまうのはしかたがなく、映画を映画として楽しむにはまずは映画から見るのが良い。

今作もそれは正解で、是非とも原作が読みたくなった。まぁ今週中には読んでいるだろう。

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風の谷のナウシカ 全7巻箱入りセット「トルメキア戦役バージョン」

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映画として見たのでもちろん原作の設定は知らない。見終わってから考えるにもっと深いキャラ付けが有るだろう。性格設定が有るだろう。だがそういったものは映画には見られない。

例えばバーのおっさんが何故出てきたのかも映画を見るだけではわからない。

それを知りたいからこそ原作を読みたく成る。原作の読者が見るとそういった点を批判したく成るようだがそれは少々おかしい。原作は原作、映画は映画、漫画は漫画とそれぞれの役目が有り、設定が有り、目的が有り作っている。それらを無視して批判するということこそが批判すべき行為だ。同じものならメディアを変える必要がないだろう。そして、メディアが変わるということは表現方法が変わるということだ。

そもそもにナウシカであれば映画を作るために原作を書いたのであるから、それが全く的はずれなことはわかるだろう。今作にしても原作者である筒井康隆が声優としても参加するなど映画を認めているのに、それを読者がとやかく言うことすらおかしなことだ。

原作者が原作の延長として認めているその行為を何故批判するというのだろう。


さてかなり前置きが長くなったが、本作は映画としても面白かったので、原作を読む前にこのことを書いておきたかった。原作を読んでからではどうしても私も「この設定も入れて欲しかった」という意見が出てくるだろう。そしてそれを口に出すかも知れない。

もちろん私も自己矛盾を持つ人間だ。それを理解しているがそれを実行できるものではない。自分の戒めのためにも書いておきたい。


そう。本作は面白い。多々設定に不明な点が出てくるが楽しめた。

面白いというよりも考えさせられるものだろう。単なるアニメのファンや、声優ファン、単に映像を見て楽しむだけの人間であれば本作の評価はわからないが、考えさせられる点が多く有り、その点について私は楽しめた。

例えば最後の最後、「夢見る子どもたち」を見に行くというところだけでもどれだけのことを考えられるだろうか。

単にパプリカが見て、それの感想として薦めたわけではないだろう。パプリカとしてそれを進めるべき理由が有り、おっさんとしてもそれを見るべき理由があった。理由が有っても映画嫌いであれば見ないわけであるが、なぜそれを見ることを選んだのか、なぜ見るべき状態になっていたのか。

たったワンシーンを切り取ったとしても、それまでの設定から何時間も考えることが出来る。

こういった「考える」という点は本来的に「想像力と思考で読む小説」の役目であるが、この映画でも「思考」として考えることを発見することは出来た。こういった映画が「良い映画」だろう。

単に映像を見せて「綺麗でしょ」、「CGすごいでしょ」、「ヴィンディーゼルがかっこいいでしょ」というような単純な映画ではない。これは小説原作であるから出来たことなのかわからない。いや、そもそもに先に書いたようなシーンに意味を込めているのかもわからない。だが見た人が自由に発想して良いのだ。


私は今自分が「大人であるか」と言われれば「どの視点からどのように見れば」と条件付きでしか応えることは出来ないだろう。そもそも私は大人であるという自覚はない。

僕はどうして大人になるんだろ?
僕はいつ頃大人になるんだろ?
・・・
道の途中 ふと立ち止まる 一人 思い出すあの頃のこと
あなたが見せてくれた未来は 今、僕がいる場所であっていますか?
あの懐かしい空き地には、まだあの土管がありますか?
あの人は、まだ僕のことを馬鹿にしながら笑ってくれますか?
あの人は、まだ僕の為にあの歌を聴かせてくれますか?
あの娘は、まだ僕を哀れんだ瞳で見詰めてくれますか?

POARO Jugendizeより引用

背伸びすれば見える でも座ってる いつまでも座ってる
・・・
明日の僕 何をしてる 二年前の今日 何してた もう寝よ、、、 10秒後、、
昔無くした自転車は今どこに止めてあるんだろう?
忘れてしまったことは本当にあったことなのかなあ?
・・・
誰も知らない所ってどこだろう?
想像もできないことってなんだろう?
泣くほどの事って何だろう?
怒るほどの事はなに?
どんな顔をしてればいいんだろう?
今僕はどんな顔をしてるんだろう?

FATMAN BROTHERS ウ・ス・イ・ハ・イ・イ・ロ・ノ・ヘ・イ・ノ・ム・コ・ウ・カ・ラ・ミ・ズ・ノ・オ・トより引用

この映画を見ただけで、映画に関連することだけではなく自分のことを考えだし、そしてその自分のことを考えることによって過去の経験を思い出す。引用した歌の歌詞も思い出す。

「忘れてしまったことは本当にあったことなのか」、「想像も出来ないことってなんなのか」、「失くしたものは、今どこにあるのか」

すばらしい。