ゴミ箱の中のメモ帳

まだ見ぬ息子たちへ綴る手記

入籍という言葉が勘違いを生んでいる

来月に婚姻届の提出を考えている。結婚式はまだまだ先。

そこで、妻さんと一悶着あった。理由が入籍という馬鹿な勘違い。

婚姻届けには、男と女のどちらかの苗字を選択する欄がある。そこで私の苗字を選んだら私の家計の戸籍に、妻の苗字を選んだら妻の家計の養子縁組になると思っていたようだ。

戸籍のことならこの1冊 (はじめの一歩)

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そんな馬鹿なことはない。婚姻届の提出の意味は新しい戸籍を作ることになる。婚姻届を提出すると、夫と妻の新しい戸籍が作られ、現在入っている、親の戸籍からは除籍になる(もちろん分籍していればすでに除籍となっているが)。
選択した苗字をそもそも名乗っていた者が戸籍筆頭者になる新しい戸籍が作られるので、その双方の親の戸籍に与える影響は除籍以外にない。
もちろん、新しく戸籍が作られるので、どちらの苗字を選ぼうと、養子に入ったことにならない。


嫁に行く、入籍という、戦前の家制度の名残の言葉のせいで、こんな勘違いが生まれているようだ。そもそも戸籍というのが家制度の名残ではあるが、こんな勘違いが未だに残っているというのに言葉は重さを考えさせられる。
妻さんは私のように高卒ではなく、そこそこの大学を出ているようであるが、そんなことも理解しておらず、妻さんの親も、妻さんの苗字を名乗ってほしいとのことで、そのために養子に来てほしいと言っているようだ。

私は苗字など、個人を簡易特定するためだけの簡易呼称に過ぎないと思っているだけなので、妻さんの苗字を名乗ることになんの抵抗もない。妻さんにはどっちでも良いと選択肢を与えている。
だが、実際に苗字を変えるとなると、まず印鑑を作り直すことになるし、車やら保険やらなんやらと、いろいろと面倒くさい手続きが一気に降り掛かってくる程度の抵抗感があるくらいだ。

苗字はどちらでも良いと話しているときに、養子の話が出てきて、なぜそんな話になるかわからず一悶着あった。私は苗字はどうでも良いし、戸籍もどこに入っていても良いので、養子に行くのは全く構わないが、私は良いにしても、あなた方の家計がほんとにその重さを理解しているのか悩んだ。
養子縁組の重さを説明しているうちに、相手方の勘違いを理解し、苗字と戸籍は関係ないと解説したらなんとなく理解してくれた。

養子に入るのは構わないが、私とどれほど喧嘩して、離婚したとしても、私との縁はそこで切れるのではなく、例えば親が死んだときに相続者として私の名前が上がる。どれだけ憎くても、私は親の財産を得る権利があるのだ。

この話をすると離婚前提にするなと言われるが、するなと言われてもそれが現実だ。

この勘違いを早めに解決できてよかったが、普段利用している戸籍の理解が欠けている点を知ってしまった。

なぜ苗字が大事なのかと聞くと、代々引き継いできたものだからだと言われたが、それも勘違いではないだろうか。江戸時代の農民には苗字はなく、公家やら武士の特権だった。だが、1875年の平民苗字必称義務令により国民皆苗字が実現しただけだ。
ということは、大半の苗字は歴史として150年も経過していない。
150年も経過していないものをそれほど、代々引き継いできたと大事にすべきだろうか。そもそも一昔前は苗字を自由に変えられたのだから、苗字を引き継がず、好きなように変えた先祖もあったかもしれない。