ゴミ箱の中のメモ帳

まだ見ぬ息子たちへ綴る手記

インフルエンザなんてほっときゃ治る

さて私奴は絶賛インフルエンザ中であります。右手の親指が横に90度曲がった状態でも自分で戻して一週間ほど病院に行かなかった私がその程度で病院に行くわけがありません。

インフルエンザと診断されている妹と同居している人と買物に出かけ、翌日にはその妹当人と出かけた翌日から喉の痛み、たまに咳、腰と膝、腕の痛み、熱が出ているのでほぼ間違いはないでしょう。

ということで、絶賛「自己診断で」インフルエンザ中です。過去には病院に行って診断されたことも有りますが、そんな時でも基本的に薬はのみません。会社に提出する書類が必要なだけで、インフルエンザなんてものは放っておけば治ります。

いや、身近な病気のほとんどが放っときゃ治ります。そうでなければここ100年の西洋医学の進歩までに到達できず人類は滅んでいます。全滅です。

副作用―その薬が危ない (祥伝社新書)

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傷はぜったい消毒するな 生態系としての皮膚の科学 (光文社新書)

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その感染媒体であった知り合いの妹は正月から病院に行き、無事インフルエンザと診断され、薬を貰い、服用し、自宅待機期間が過ぎ完治したようです。

病院からは薬を貰ったということなので、何かは聞いていませんが、今ならタミフルリレンザ、イナビルのどれかでしょう。



私のような世間への反逆児は病院にも行かず、薬も飲まず、ただ寝ています。いや、実際には寝ているのも暇なのでこうしてブログを書いているわけですが。とりあえずは家から出ずに一人でウイルスと生活しています。

私からすれば、体に菌が要ることを嫌がるのに、それをどうにかする薬を体に入れることを歓迎するというその精神がわかりません。もし虫を食べてしまった時に殺虫剤を飲み込む馬鹿は居ないでしょう。私からすれば同じようなものです。



世間の人間はどうしてそうまで病院や薬が好きなのでしょうか。なぜ自分が病気と診断されることを喜びに感じ、薬を飲むことを名誉と思うのでしょうか。

そもそもに世間の人間は「薬」と言うものを勘違いしすぎです。薬の殆どは根本的な解決をしているのではなく、身体、脳をごまかしているだけです。解熱剤を飲んで熱が下がったとしても、それは菌が死んだのではなく、神経をごまかし無理やり熱を下げただけです。元の菌は減るところか体温が下がることで増加している可能性すらあるということを理解できていません。

例えばこのインフルエンザ薬とされているタミフルについても、これは「菌を殺す」のではなく「菌の増殖させない」為の薬であり、これと合わせて熱を下げるということがどれだけ危険なことだかわかっていないのであろうか。

菌を殺さないということは体に菌は存在する。熱が下がって動けるようになれば世間のアホどもは外に出てしまう。外に出て菌をまき散らす。インフルエンザであれば待機期間を言い渡されるが、他の風邪と診断されるのは待機期間を言われないために午後から仕事に出かけるアホもいる。

「熱っぽい」と会社で言いふらしているのを私も何度も見かけてきた。なぜ「熱っぽい」のに会社に来るのだろうか。病気の可能性があるのであれば会社を休め。お前の業務能率が下がって給与に見合わない、いや、元々見合ってない給与分の仕事を出来ないだけであればまだしも、会社中に菌を撒き散らかして多くに感染させる。

当人からすれば「私は体長が悪くても会社に来る仕事熱心な人間ですよ」、「こんな健気に働く私を見て、可哀想でしょう私。さぁ、哀れんで。」、「こんくらいの風邪で私のロングバケーション用の有給を使ってたまるもんですか」と思っているのかも知れない。だがそんな奴は帰るべきであるし、言われるまでもなくそれくらい自分でわかってほしい。

そこで「病気なら帰れ」と言おうものなら、給湯室でお局様に「私は病気を押してきてるのに帰れと言われました。悲しいです。あとお局様の悪口いってるの聞きました。」とアホどもを一団としてバッシング行動が開かれる。インフルエンザの菌よりもたちが悪い。



薬などは本当にどうしようもない時、辛くて48時間一睡もできていないというような症状の時にだけ飲めば十分だ。寝て体力を回復できないのであれば体の抵抗作用も下がるため、そのために体温を下げて寝れるようにするという目的程度で十分だ。いや、ジジイババアガキンチョでもなければそれでも飲む必要はない。

現代人はどんどんと体が弱くなっている。特に日本人のような衛生環境の良い場所で育つ人間は、インドやタイの水道水も飲むことが出来ないほどに菌への免疫が無い。薬を飲むというのであれば、それを飲まなくてもいいよう、普段から公園の水たまりの水を飲んだり便座や手すりをねぶっていればそのほうがよっぽど効果的だ。様々な菌への抵抗が持てる。



また、現在のように薬や病院が一般的になりすぎたために現代人は病気や怪我を恐れないようになった。スキーに行って骨折する危険性を理解しても「骨折は治せる」と思っているから何の恐怖もない。インフルエンザになっても病院に行けば治るからと大衆の中に自ら飛び込んでいく。

普段から病院に行かず、薬を飲まない私のような人間はそれらを恐れる。怪我をする可能性があればまずはその可能性を潰してから行動する。病気になる可能性があるならそこへはいかない。

怪我をした時の痛み、病気をした時の苦しみを理解しているからそれを避けるのだ。だが病院で治療し、薬で緩和することに慣れていればそれを当てにするためにそれらを恐れることはないだろう。馬鹿げている。



そしてそのような人間が溢れているためにウイルスがどんどんと強くなり、薬への耐性菌が産まれる。例えばこのような日本の現状からタミフル耐性を持つインフルエンザウイルスが蔓延しているのだ。

タミフル生産量の半分以上は日本が消費している。それ程に日本人は薬を好み摂取しているのだ。そして自らが耐性菌の発生源となりウイルスを鍛え上げている。この国では既に、インフルエンザと疑わしい患者には診断せずにタミフルを処方したほうがコストが安いという考えもあるほどだ。

「病院に必要以上の薬を売りつけられた」と文句を言う人もいる。こんな危険な人間たちが世間を闊歩していると思うと怖くて仕方がない。病院は「病原体を無くす」ことを目的として薬を出す。例えば一週間分としよう。

だがほとんどの場合は4日目には体は楽になり、病気は完治したかと勘違いする。菌はまだ存在にするにも関わらず、身体が元気になれば本人は満足なのだろう。医者は「その病原体を無くす」ために薬を出しているにもかかわらず、患者は「元気になるため」に薬を飲んでいる。

そうなれば元気になれば薬の摂取を止める。だが菌は体の中に要るのだ。この菌は薬の作用を覚えているために耐性菌へ変化する。アホな人間の勝手な行動で耐性菌は生み出されていく。出された薬は体調に関係なく飲み続けなければならない。そうしなければ「薬を出した意味がない」のだ。

イナビルにしても認可が新しいためにまだ耐性菌が少ないが、どんどんと鍛えあげられているウイルスからすれば時間もあまりかからずに耐性菌が生まれるだろう。



風邪を引いた時になぜ熱が上がるのか。身体が無駄なことをするはずがない。身体の抵抗力を上げるため、菌を殺すため、危険を伝え安静にさせるため、様々な意味を持って体は反応する。

そんな体の自浄作用を無視して何故薬を飲みその自浄作用を阻害しなければならないのか。



すぐに薬を出す医者は信用してはいけない。

そしてなにより、薬というものははなから信用していいものかどうかを考えて欲しい。

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