ゴミ箱の中のメモ帳

まだ見ぬ息子たちへ綴る手記

齋藤孝の速読塾―これで頭がグングンよくなる! 齋藤 孝(著)

本書は書店によくならんでいるような速読術が書かれた書籍ではない。文章を読む際に一文字づつ音読するなというような内容や、上から下に目線を移動させる際には一度に三行読めというような書籍ではない。ましてや、1ページを1秒で「見ろ」というような類の速読術ではない。

速読をしたいと思いそのような書籍を読んだが、実践どころか理解も出来なかったという方々に向いている速読術が記載されている。著者の齋藤孝さんが誰に習ったわけでもなく、自らが編み出した速読、多読をするための方法や考え方が記されている。というわけで、本書は一般的に言われているところの「速読」とは目指すところが違う。その点は注意する必要がある。

また、これらの内容は「速読」を目指すためだけのものではなく、「多読」を目指すためだけのものでもなく、「短い時間でより大きく多くを理解をする」という点を目標としているので、「速読」に興味がない方にもお薦めできる。
「本を読んでも理解ができない」、「会社で書類の山に追われている」、「会議で資料にあった議論を行えない」といった方もターゲットに書かれている。私は全てに当てはまる。

齋藤孝の速読塾―これで頭がグングンよくなる!

齋藤孝の速読塾―これで頭がグングンよくなる!


著者の齋藤孝さんの本は今までも何冊か読んでいるのだが、特に「筋を通せば道は開ける (PHP新書)」は秀逸な作品に思える。その作品を書いた齋藤孝さんの読書に対する考え方や、本に対する考え方を本書では知ることができる。本当にすばらしい。

私は注意欠陥障害(ADD)と診察されたこともあり、読書などは向かないと医者に言われている人間である。そう言われたからといってそれに甘んじるつもりは無いので、今後も本を読み続けるつもりでいる。だが、そう言われる原因となったかもしれないが、本を読んでもほとんど理解ができない。
本を読み進めていても一行前に何が書いてあったか忘れてしまう。一行前を何度も読み直すことがある。それに気づくのはまだいい方で、「心ここにあらず」というような感じで別のことを考えながらどんどん読み進めてしまい、何ページもの内容を全く理解せずに読み進めてしまうこともある。その場合は読み戻さずに、そのまま読み進める。

本書では、こんな私にも読書の道を示してくれた。

本の内容なんて全て理解しなくてもいい、重要なのは2割ほど、一冊の中から1箇所でも引用できうる箇所が見つかれば十分。

私もこのように思っていた部分はあるが自信はなかった。だが、齋藤孝さんにも助言を頂けたようで、そのような読書スタイルに対して自信が持てた。また、この記事のように読書の後に感想文を書くことで理解を深める方法などは、自分の考えそのものが間違っていないということを言っていただけているようで嬉しく思う。


本書が扱うところの「速読」は、先にも書いたが「速く文章を読む方法」ではなく、「短い時間で書籍の内容を理解する方法」になる。なので、文章を速く読める必要はなく、いかに重要な箇所を素早く見つけることができるか、著者の言いたいことを理解できるかが重要となり、その重要な要素について、それらを素早く見つけ出す、考えだす方法が記されている。
それらの方法について私が書くと誤った説明になるかと思うので、是非とも本書を直接読んで欲しい。


また、齋藤孝さんは本書を使って以下のようなメッセージも伝えている。

P13.
本がたくさん読めない、あるいは読解力や理解力が足りない人の一般的な傾向として、趣味が狭く、自分が好きなものだけに固執し、物事を決めつける性質があります。
左翼や右翼と言われる人たちの中にも凝り固まった人がいますが、そういう人たちの悪癖とは、あるものを絶対だと信じることによって、その他のもの全てにバイアスをかけてしまうことです。

これはまさに真だ。「本がたくさん読めない」と、それを前提にしているのには疑問を呈するが、読解力や理解力が足りない人は、新しい知識を自ら得ようとせず、その今持っている知識から全てを解決しようとする。そのようになれば、自分の考えや自分が理解できる範囲以外は全て「悪」として決めつけてしまう。新しい知識を得ることも出来ず、そのしぼんでいく知識の中で全てを解決する必要があり、「意味や理由がない自分の考え」を下に判断、行動をしてしまう。

また、この理解力の例としては以下のように言われている。

P23.
考えても見て下さい。闘争や戦争、憎しみは、みな「理解が足りない」あるいは「理解することを拒否している」ところに生まれてきます。私たちはふだんお互いに対してどれくらい分かり合っているかという点を、愛情の問題とすり替えてしまいます。しかし私に言わせれば、関係を長期的に安定させていくためには愛よりも「理解する力」が必要なのです。

本当に真に感じる。自分以外の他人と行動するには「絶対」にこの理解力が必要になる。親であっても自分以外は他人であり、自分と全く同じ考えの人はいないのだ。なら、その「違う考え」を理解して共に行動をする必要がある。自分の考えと違う人間を排除していては、やがて自分は孤立し、他人には一切耳を貸さない頑固親父と化してしまう。
「タバコを吸っている奴は嫌い」という人がいるが、それは憎むべきはタバコであり「その人」ではない。タバコが嫌いだとしても、喫煙者には「なぜタバコを吸うのか」という理解が必要であり、自分の伴侶に喫煙を辞めてもらいたいなら相手の考えを理解し、自分の意見を伝え、それを理解してもらう必要がある。お互いに理解が可能なのであれば、お互いに対して行動を制止することが可能なはずである。


齋藤孝さんはこのように理解力に対して素晴らしい考え方をお持ちだが、本書は「理解力」の書籍ではない。「読書力」の書籍になる。関連しないと思われるこの二つについて、齋藤孝さんはこのように言われている。

つまり概念を得ることによって、それまで意識されていなかった考え方がひとつにまとまったり、鮮明になってくるのです。

何かを理解するためにはそれを知る必要がある。それを知るにはその考え方や概念を知る必要がある。その概念や考え方を知るために読書をするのである。


読書は人を理解し、愛するためにもするのである。

齋藤孝の速読塾―これで頭がグングンよくなる!

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筋を通せば道は開ける (PHP新書)

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読書力 (岩波新書)

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