ゴミ箱の中のメモ帳

まだ見ぬ息子たちへ綴る手記

分類

「分類」と「整理」は同じ言葉と考えられているかも知れない。だが、分類ができていれば「整理」が出来ているのだろうか。

およそ「整理」の目的は「探しやすくする」と言うことで、「整理整頓」の「整頓」は「見た目を綺麗に整える」と言うことだろう。だがそうすると、整理(探しやすく)するためには分類しないほうがいいのではないか。

「超」整理法―情報検索と発想の新システム (中公新書)

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こう聞くと違和感を持たれる方が多いかも知れない。確かにゴミは分類しなければ業者は大変だし、薬箱の中に薬をまとめて置かなければいざという時に探し出せないかも知れない。

だがそれは「具体的な物」に分類が適応できるというだけではないだろうか。

ゴミは「燃える」、「燃えない」、「資源」、「プラ」の用に分別できるし(地域によって違うが)、薬箱には「薬」や「傷の手当アイテム」という具体的な分類がある。

最近は仕事としてもその具体的ではないものを扱うことが多くなっている。例えば「情報」と言われるものだろう。この情報は分類が難しい。なんてったって、一つの情報が複数の分類をもっており、分類不可能なものまで存在する。

例えば書籍で考える。書籍も立派な「情報ツール」だ。

あなたは読書とゴルフが趣味であるため、本棚にはそれらに関連した書籍が多くある。そこで「ゴルフ」、「トレーニング」、「料理」と言うジャンルを作って並べたとすると、「ゴルフのためのトレーニング法」や「食事で見直すトレーニング」、「ゴルフの上達する食事」と言うものがあれば、それらはどこに分類するだろうか。どれも二つ以上の分類なりえる属性を持っている。

一般書籍であれば著者別に書籍を並べることは多いかも知れないが、その場合、著者が二人以上いる場合はそれをどこに入れるだろうか。

このように、分類というものはうまくいかない。分類の多くは「その他」に放り込まれ、「その他」が肥大化していることも日常だろう。



分類というのはそもそも間違いであり、利用頻度や利用した順に並べるのが最も適切で可用性のあるものではないだろうか。利用した順であれば昨日使ったものはすぐに取り出せるし、中々使わないものも奥を探せば見つかる。どこにあるかというのがおおよそ察しがつくので分類のように分類間を探しまわる必要もない。

書籍であれば読んだ順に本棚に並べていけばよい。そうしたらよく参照するものは常に手前にあるだろうし、それを読んだ時期というのはなんとなくきっかけとして覚えているものなので探すのも極僅かな範囲で済むだろう。



物は探す時に非常に時間がかかるのであるから、保存する時にわざわざ時間をかける必要はないだろう。いや、保存する時に時間をかけるからこそ、それに比例して探すときにも時間がかかるのだろう。

なんてったって、保存に分類を悩んでいるのだから、探すときもどの分類に保存したかを考え探さなければならない。

そうするとやはり、整理というのは分類しないことが適切なのであろう。

類人猿分類公式マニュアル2.0  人間関係に必要な知恵はすべて類人猿に学んだ

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